【今さら聞けない経済学】「米ドルが国際通貨」って、どうやって決まったの?

日本や世界の経済ニュースに登場する「?」な話題やキーワードを、丁寧に分かりやすく解説。
ずっと疑問だった出来事も、誰にも聞けなかった用語の意味も、スッキリ分かれば経済学がグンと身近に。
解説・文=岡地勝二(龍谷大学名誉教授)

第4回:「米ドルが国際通貨」って、どうやって決まったの?

アメリカのドルという通貨のことが頻繁に人々の話題に上るのは、なぜなのでしょうか?それは、ドルがなければ国と国との間の商品売買ができず、お金の取り引きもできないからです。世界のどんな国にもその国独自のお金、「通貨」があります。しかし「世界国」という国はありませんので、世界通貨というものはありません。そこで、国同士が世界で取り引きをする時はアメリカのドルを使おうと取り決め、実際に貿易取引の支払いなどに使用されています。そこで今回は、なぜドルがそのような立場になったのか、また、ドルを国際的な取り引きに使おうと決めたのは一体誰なのか、などについて勉強していきましょう。

「ドル」が国際通貨となった理由

第2次世界大戦もそろそろ決着がつくころ、戦勝国と思われていたイギリス、アメリカといった主要な国々の代表がアメリカのニュー・ハンプシャー州の小さな町、ブレトン・ウッズに集まり、なぜこんな惨めな戦争が始まったのか、今後二度とこうした戦争を起こさないようにするためにはどうしたら良いのか、という話し合いをしました。1944年の夏のことです。そこでは、かの有名なイギリスの経済学者J.M.ケインズが活躍しました。そこで衆議一決した意見は、世界の国々が「自国で生産した財やサービスを“A国には売ってやるが、B国には売りたくない”ということがないようにしよう」ということでした。そのためには、代金の支払いを正確にすることが重要になります。つまり、自分の国の通貨とどこかの国の通貨とを、その時に決められた「相場(値段)」で交換できるようにしよう、という取り決めをしたのです。

その通貨の交換の軸として定められたのが、アメリカの国民通貨である「ドル」です。なぜドルにしたかといえば、当時、アメリカ経済が世界経済の中で絶対的な地位を占めていたから。そこでアメリカの通貨を国際通貨として各国の通貨の中心に据え、ドルを中心に各国の通貨をしっかりと結ぼうとしたというわけです。つまり「ドル体制の確立」をしたとも言えますね。

さらに、このドル体制を揺るぎないものにするために世界の通貨制度を確立しようと、IMF(国際通貨基金)という非常に重要な仕組みを作ったのも、この話し合いの中でのことでした。各国にはそれぞれ中央銀行があり、その国の通貨問題や金融問題を解決しているのですが、世界には「世界銀行」がないため、「世界の中央銀行の役割」をIMFに担わせることにしたのです。IMFの下にドルを中心として各国の通貨のバランスが取れるようにし、その時の相場をしっかりと固定することを可能にしました。そうして、固定相場制を実現したのです。

といってもアメリカの「単なる国民通貨」であるドルを国際通貨にするのですから、ドルの価値をもっとしっかりと固定させ、世界から信用してもらう必要があります。そこでドルの価値を「金1オンスを35ドル」という値段で固定化させることによってドルへの信頼を確定させました。つまり、ドルの後ろにはいつも金が控えているよ、ということです。これを「金・ドル体制」といいます。

このようにしてドルの価値を安定化させ、ドルを国際通貨として各国通貨と結び付け、国際通貨制度を固定相場制として確立させたのです。これが「1ドルが何円」というドル相場の確立の始まりでした。このような一連の制度の確立は、会議が開かれた場所の名前から「ブレトン・ウッズ体制」と呼ばれています。

固定相場制の「大切さ」と「脆さ」

当然のことですが商売は、いくらで売買し、その代金は決められた日までに決められた方法で必ず支払う、という約束があって初めて成り立ちます。これは国同士の商売でも同じことです。例えば、日本のA社が外国のB社に物を売る場合、「この値段で取引し、国際通貨・ドルでちゃんと決められた日に支払います」という約束が設けられます。その際、1ドルは何円で交換します、とドルの値段が事前に定められているのが「固定相場制」なのです。

当時IMFは、1ドルを360円と決めました。つまり、この時はドルがとても高くて、円が安かったのですね。この相場を決めたのは49年、戦争が終わってから4年しか経っておらず、日本経済はまだまだ独り立ちできない状態でした。そこでIMFは日本に「同情」して、こんなにも日本に有利なレートにしてくれたのです。

その後日本は、徐々に悲惨な戦争状態から立ち直り、日本人持ち前の勤勉さや技術力の高さを発揮。さらに翌年に勃発した朝鮮戦争による特需のお陰もあり、みるみるうちに日本経済は回復していきました。そして質的に優秀な財をどんどん世界へ、とりわけアメリカへ輸出するようになりました。

68年には日本はGNPで世界のナンバー2までに登りつめます。この戦後わずか23年の快挙に、「Japan as No.1」とか「21世紀は日本の時代だ」などと世界から羨望の眼差しで見られるようになりました。

一方、「ドルが高い」ことによって、アメリカ製品はとても高くて外国で売れませんでした。アメリカの輸出は増大せず、日本から安くて良質なものがどんどん輸入されたため、アメリカの国際収支は大きな赤字に陥りました。つまり、日本は豊かになり、アメリカは貧しくなっていったのです。これはまさに、1ドル=360円という為替相場の成せる業でした。

ニクソン・ショックの発生

先にも述べたように、ドルの後ろには金が控えていたのです。これは「ドルを持つということは金を持つことと同じだった」ことを意味します。アメリカは、国際貿易競争で負け、さらに、60年代後半から始まったあの忌まわしいベトナム戦争で「莫大な戦費」を要し…、といったことが重なりだんだんと経済が弱体化していきました。つまり、アメリカ経済に対する信用は低下する一方でした。

「弱い国の通貨は弱い」というのが経済の鉄則です。要するにドルへの信用がガタガタと下がってしまい、世界の国々はドルを手に入れると直ちに「金」をアメリカに要求するようになりました。ドルの背後に金がドーンと控えていたとはいえ、たくさんの国々がドルを持ってきて金との交換を要求するようになったので、アメリカの金の保有率は減少する一方となりました。

そこで71年8月15日(ちょうど日本の敗戦記念日です)に、時のアメリカ大統領ニクソンが「もうアメリカには十分な金はないので、これ以上ドルを持ってきても金とは交換しません」と世界に向かって宣言したのです。この宣言こそが世界を大混乱させる要因となりました。世界はこれを「ニクソン・ショック」と呼んでいます。

つまり、もうドルの価値は金と結びついておらず、ドルそのものがゆらゆらと大海原を漂う船の如く不安定な存在になりました。これは世界経済だけでなく、日本にとってもことのほか重大な出来事でした。なぜなら、1ドルが360円という確固たる交換基準がなくなったのですから。

固定相場制の崩壊

ドルを中心として各国の通貨を結び付け、国際通貨体制を確立することによって国家間の支払い・受け取りを確実なものとして国際取引を増大させ、世界経済を繁栄させよう、というのがIMFの目的でした。しかしこれは脆くも崩れ去ってしまったのです。この事態には、日本も「黒船の再来」といって大騒ぎをしました。これまで長年慣れ親しんだ1ドル=360円という状態から、一挙に1ドル=300円までに及ぶ「円の切り上げ」を目にすることとなったのですから、混乱も当然でしょう。

しかし世界の人々が英知を結集して、国際通貨体制は「変動相場制」という新しい通貨制度で構築し直されました。これによって世界経済の難局を乗り切ろうとし始めたのです。

次回は、変動相場制とは何か、そこでは誰が活躍したのか、さらに、その利点と欠点について考えてみましょう。


岡地勝二 プロフィル
関西大学経済学部卒業。在学中、ロータリークラブ奨学生としてジョージア大学に留学、ジョージア大学大学院にてM.A.修得。名古屋市立大学大学院博士課程単位終了、フロリダ州立大学院博士課程卒業Ph.D.修得。京都大学経済学博士、龍谷大学経済学教授を経て現在、龍谷大学名誉教授。経済産業分析研究所主宰

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