【今さら聞けない経済学】「経済学」はどうやって生まれたの?

日本や世界の経済ニュースに登場する「?」な話題やキーワードを、丁寧に分かりやすく解説。
ずっと疑問だった出来事も、誰にも聞けなかった用語の意味も、スッキリ分かれば経済学がグンと身近に。
解説・文=岡地勝二(龍谷大学名誉教授)

第12回:「経済学」はどうやって生まれたの?

経済学の事始め

そもそも「経済学」とは、どのようなことを学ぶ学問でしょうか。よく耳にする言葉に「経国済民」というものがありますが、この言葉の意味は「国の財政を安定させ、民を救う」ということであるようです。この言葉を短くしたものが「経済」であり、その方法を学ぶのが「経済学」という学問です。つまり経済学とは、一国の経済の財政状態を見極め、それを基に人々の生活を安定させる方法を学ぶ学問である、と言えます。

こうして述べると、経済学とは何やら難しい学問のように思えますが、日本ではほとんどの大学に経済学部があり、そこでたくさんの若者が「経国済民の術」を学んでいます。私が初めてアメリカの大学へ行った1965年、滞在先の家庭のご主人が私にこんなことを言いました。「カツジ、日本経済が急に発展し出したのは、日本にたくさんの経済学者がいるからだろう」と。日本のたくさんの大学には経済学部があるので、そこで「経済研究者」がどんどん生み出されている、と思われていたのかもしれません。実際のところ、一国の経済成長の度合いと経済研究者の数に「正の相関関係」があるとは、とても思えませんが。さて、この経済学という学問を体系付けたのは一体誰なのでしょうか。

経済学の誕生と、発展させた3人の偉大な学者

世界には歴史的に偉大な経済学者は星の数ほど存在しますが、数を限って考えるとすれば次の人々に絞られるでしょう。アダム・スミス、カール・マルクス、J. M. ケインズの3人です。アダム・スミスは「経済学の生みの親」であり、マルクスは「マルクス経済学の父」、ケインズは「近代経済学の父」と呼ばれます。

よく世間で耳にする言葉に「必読の書」というものがあり、それを読んでいないと肩身の狭い思いや劣等感さえ覚えるという経験をしたことのある人もいるかもしれません。経済学にも3大書と呼ばれる必読書があり、スミスの『国富論』、マルクスの『資本論』、ケインズの『一般理論』がそれに相当しますが、これら全てを読破している人は恐らく多くないでしょう。

私自身のことを言えば、『国富論』を最初に読んだ(見た、と言う方が正しいかもしれません)のは、大学1年生の時でした。大学で経済学を学んだ経験のある人なら記憶に残っていると思いますが、経済学部には「英書購読」という授業があります。幸いなことに、当時とても高名な杉原四郎教授が、英書購読にスミスの国富論を取り上げてくださり、とにかく難しい英語でしたが、それでも辞書を引きながら「義務」として読みました。お陰で、杉原先生の崇高なお人柄に引き込まれながら国富論の概要を学ぶことができました。

ケインズの『一般理論』は、ジョージア大学の院生の時、この本を1ページ目から「読まされ」ました。アメリカの大学では2~3週間に一度の割合で試験があるため、それはそれは必死で読んだことを覚えています。『一般理論』の内容は当時の私の英語の読解力では難解で、あまりよく分かりませんでしたが、試験には無事合格しました。アメリカの大学にも「お情け」とか「高下駄」という温情があったのかもしれません。それほど『一般理論』の英語は難しかったことが印象的です。

残念ながらマルクスの大著『資本論』を読む機会はありませんでしたが、日本にはその「解説書」がたくさんあり、それらのいくつかには触れることができました。

スミスの『国富論』

アダム・スミスは、1776年に『国富論』をスコットランドで完成させました。1776年といえば、アメリカの独立の年。もともとこの書物は『An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations』というタイトルが付けられており、このタイトルの最後の部分を取って、『諸国民と富』とか、より一般的には『国富論』と称されています。英訳は、一般的には「国の豊かさの本質と原因についての研究」と言われていますが、「Inquiry」の意味からすると、「研究」だけでなく「質問」や「追求」という意味も考えられます。つまり、ある国がどんどん豊かになっていくために何を、どのようにすれば良いのか、ということを論じた書物です。

スミスは、もともと「道徳論」の教授でした。つまり、人間が人間らしく生きていくためには何が必要か、ということを考えてきた人なのです。しかし、そんなことを延々と考えてきた結果、「そうだ、人間がちゃんと生きていくためにはやはり『豊かさ』が必要だ」という結論にたどり着いたとも言えるでしょう。つまり、国がより一層豊かになってこそ、その国民も豊かになる、と結論付けたのです。そこで国が豊かになるためには人々の生産を自由に増大させ、自由に取引をさせれば良い、と考え、スミスは「自由放任」という経済のもっとも基本的な考えをこの本で述べました。人々が自由に経済活動をすれば「神の見えざる御手」によって世の中は均衡し、発展する、と結論付けたのです。この「自由」という考えが、資本主義の本質となったとも考えられています。

さらにスミスは「ある国の生産がより一層増大するには何が必要か?」ということも考え、「分業の必要性」というのが彼の結論でした。スミスはこんな例を挙げて分業の必要性を訴えています。

今、ピン(かんざしでも良い)を生産する過程を考えてみよう。もし全てをたった1人で作るとしたら、どんなに努力しても1日で20本も作れないのに、もしこれを幾人かで、手分けしてそれぞれ専門分野に特化して生産したら、おそらく1日で何百本、何千本と生産できるだろう。

皆さんは、そんなことは今では「当たり前」だと思うかもしれませんが、1770年代の後半としては画期的なことだったのです。その証拠に、この考えを基にイギリスでは生産活動がより活発化して、有名な「産業革命」が勃発するのです。イギリスだけでなく、その生産方式がアメリカに飛び火して、流れ作業という生産方式が受け入れられ、大量生産が可能となり、一気に世界の産業は活気付いたとも言われています。

このような考えを編み出したのでアダム・スミスは「経済学の父」と呼ばれているのです。

マルクスの考え

カール・マルクスが著した『資本論(Das Kapital)』3部作の第1巻が世界に登場したのは、1867年のことでした。それはちょうど、日本では260年の長きにわたって続いていた徳川幕府が崩壊し、明治維新が勃発する前年。日本ではまだ侍たちは頭にちょんまげ、腰には刀という時代に、世界では「人間の本質」を考えるようになっていたのです。

もともとマルクスはドイツ出身で、ドイツのベルリン大学で主として法学や哲学、とくにヘーゲル哲学を学んだ後、ジャーナリズムの世界で活躍していました。しかし、彼の主張があまりにも過激であったために当時のドイツでは受け入れられず、やむなくパリに生活の場を求めるようになり、そこで経済学の勉強を始めたそうです。しかし、そこでもマルクスの考えは急進的とされたことからパリも安住の地とはならず、やむなくイギリスに亡命するような形で1849年から居を構えることになり、イギリスの大英博物館に通って執筆活動に専念するようになった、と言われています。そこで彼は極貧に喘ぎながらも、20年近く大英博物館で人間の本質の追求に一心に打ち込んだ結果を『資本論』として世に送り出したのです。

18世紀の後半から始まったイギリスの産業革命に端を発した「産業の近代化」ですが、多くの労働者を、いわば機械のように扱い、人間性を無視し経済組織の単なる道具として組み入れる体制は、大きな疑問を呈されることになりました

それを受けマルクスは、訴えました。この世でもっとも大切なものを作り出すのは「人間=労働者」である、と。つまり、もっとも価値が高いのは人間の本質であり、それが経済の中心となるべきだ、と主張したのです。これは「労働価値説」と呼ばれ、世界の労働問題のもっとも中心的な存在となりました。彼の言説をまとめると以下のようになります。

経済体制は資本と労働の2つのものから成り立っているが、真に中心的な存在は労働であり、労働こそが真の価値を作り出す。しかし資本が産業の中心である限り、資本が労働を『搾取する』ということは避けて通れない。だからこそ、万国の労働者よ団結せよ。

この考えは世界の多くの人々から大きな期待をもって迎えられ、それが結実して、世界経済内のいくつもの国で社会主義体制が誕生することとなりました。

かつて日本の多くの大学の経済学部では、マルクス経済論が講義の主流を成していた時代もあり、そこでは人間の本質について真剣に教授されてもいました。しかし、1990年代の初期に始まったソビエト連邦内での社会主義体制の崩壊が本格化すると、連鎖的に世界のマルクス主義に基づく経済体制は崩壊の憂き目を見るようになり、現在の世界経済体制内ではマルクス主義に基づく経済体制を取っている国は、ほとんど皆無になりました。

かといってマルクスの考えを一切勉強する必要はない、と言い切れません。それはマルクスの考えは、人間の本質を深く考えた経済理論だったからです。しかし、主としてアメリカの大学で教育を受けた私には、深くマルクス経済学を学ぶ機会は少なかったと正直に言わなければなりません。

さて次回は、「ケインズ経済学の本質」について考えてみたいと思います。



岡地勝二 プロフィル
関西大学経済学部卒業。在学中、ロータリークラブ奨学生としてジョージア大学に留学、ジョージア大学大学院にてM.A.修得。名古屋市立大学大学院博士課程単位終了、フロリダ州立大学院博士課程卒業Ph.D.修得。京都大学経済学博士、龍谷大学経済学教授を経て現在、龍谷大学名誉教授。経済産業析研究所主宰

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