【今さら聞けない経済学】経済学を学ぶ手段と方法について

日本や世界の経済ニュースに登場する「?」な話題やキーワードを、丁寧に分かりやすく解説。
ずっと疑問だった出来事も、誰にも聞けなかった用語の意味も、スッキリ分かれば経済学がグンと身近に。
解説・文=岡地勝二(龍谷大学名誉教授)

第28回:経済学を学ぶ手段と方法について

経済学とはどのような学問か

このシリーズも、もう随分長く連載させて頂いております。連載を読んでくださっている方々の「経済の見方」について少しでもお役に立てているようでしたらとてもうれしく、そして、ありがたく思います。文章を書くという側から言えることは、書いた文章を1人でも多くの方々が読んでくださる、ということほどうれしいことはありません。

さて、私は長く経済学を勉強し、経済学を大学で教えるということを職業とし、今も講義をしております。よく尋ねられるのが、いったい「経済学とはどのような学問ですか」という質問です。その都度、とても返答に窮することが多いです。

また、講演会や研修会といった、さまざまな集まりでは「どのように経済学を学んできたのか」という質問を受けます。確かに、「円高・円安」、「インフレ・デフレ」、「均衡・不均衡」などといった“小難しい”言葉が会話の中に、それも頻繁に現れて、皆さんを混乱させているようです。

そのため、経済学という分野はどうも世間の人びとから敬遠されがちです。いざ講演会で、経済の現状について話す時に「そんな難しい言葉を使わないで」という言葉を浴びせられることもあります。

経済学という学問は、たくさんある社会科学分野の1つにすぎませんが、難しい領域であることは間違いありません。

そこで今回は、「経済学」という学問分野についてと、その修得方法についてご紹介します。

オカチ流「経済学事始め」

経済学を勉強する時、人びとから敬遠されるのは、「経済学=数学」という構図です。

大学でゼミを開講する時、学生からこんな質問をよく受けます。「先生のゼミは数学が必須ですか」と言うのです。それに対して「少しは数学を使いますよ」と答えると、ゼミの参加希望者はどーっと減ります。

今でも若い人びとは、数学が苦手のようです。そういう私も、残念ながら、数学の出来は良くありませんでした。どうも数学が出来るということは、ある意味でセンスの問題のようです。

大学院に入学する時、面接担当の先生との口頭試問で「数学は出来ますか」と質問され、「出来ません」と答えると、「それなら死んだつもりで3年間必死に数学に取り組みなさい」と言われました。てっきり私は「数学が出来ないなら、他の大学院へ行きなさい」、つまり不合格と言われると思ったのです。また、先生は「誰でも死んだつもりで難しいことに3年間取り組めば、何とか出来るようになる」とも続けました。

この言葉を一心に信じて数学に取り組みましたが、元々数学の素養が無かった私の数学レベルは一向に上がりませんでした。ただ、その先生は、丁寧に“数学を含んだ経済学の理論”を教えてくださいました。今でも頭が下がる思いです。「三歩下がって師の影を踏まず」という心境です。

英語と経済学の関係

経済学を学ぶ上で必要な手段となるのが、語学です。それも「英語」が出来なければ、それこそ話になりません。

経済学という学問は、元々外国から入ってきた学問です。その昔、日本の医師が必死にオランダ語で医学の知識を学んだように、日本の経済学という学問も欧米から入ってきました。従って、英語で経済の理論を学ぶのは、ごく当たり前のことだと言えます。

その昔、指導してくださった先生の研究室に入り、本棚に並ぶほぼ全ての書籍が洋書であることに非常に驚きました。日本にいながら、経済学を学ぶ時には、英語で学ぶのです。

文献と言われる「ジャーナル」は、英語で執筆された論文集です。それらをごく当たり前のように読み、知識を自分の頭に叩き込み、そして経済のさまざまな現象を学ぶのです。これが経済学という学問を学ぶ時の「常識」とされています。そこで、数学も出来ない、ましてや英語もままならない、といった私は数え切れないほど悲しい思いをしました。

また、研究者たちには、研究業績が求められます。年に必ず幾つかの研究論文を発表しないと研究者とみなされず、講師から準教授(ひと頃は助教授と言われていました)、そして教授という階段を昇って行くことが出来ないのです。これは洋の東西を問わず、ほぼどこの大学でも同じシステムで成り立っています。

研究論文発表の際、英語で執筆されている論文は一段と高く評価されます。現在の日本の大学で研究に従事している多くの人びとは、ほぼ英語で論文を執筆するように勧められます。けれど英語で論文を書くというのは、骨の折れる仕事です。誰しもが容易く出来るものではありません。

私事で恥ずかしいのですが、とても人様に言えないようなことがありました。その昔、アメリカのフロリダ州立大学の院生だった時に、自分で書いた論文を提出したところ、担当教授から「これは英文ではない」と突っ返されたことがあります。その時は自分が情けなくて、どうしたら日本に帰れるだろうかと悲観に暮れました。

しかし、とりわけ現在の日本の経済学分野において、若い研究者たちは、ほぼ一様に欧米(オーストラリアを含む)の大学院で博士号(Ph.D)を修得し、そして学会で英語の研究論文を口頭発表して、業績を上げています。今後、日本の経済学者の中からノーベル経済学賞を受賞するような研究者が出てくることでしょう。

さて、このPh.Dという英語を時々目にしたり、耳にしたことがあるかと思います。Ph.Dとは、「Doctor of Philosophy」の略で、「博士」を意味します。Philosophyとは、「哲学」のことを意味しますが、欧米では、「博士号」には、全てこのPhilosophyが付けられるのです。

例えば、物理学博士でしたら「Ph.D in Physics」という呼び方をします。それは、哲学が全ての学問の「中心」だからです。つまり、哲学は学問の真髄なのです。従って欧米では哲学という学問をとても重要視しています。

皆さんも、きっとその昔、教室で哲学の講義を受けたことがあるかと思いますが、恐らく居眠りをしていたことでしょう。そういう私も同じでした。ただ、今となっては、時として哲学の分野の書物に目をやり、しばしその学問を考えてみることは、大切なことではないかと思います。

とにかく学問の中心が哲学ですから、哲学とは、人間が人間として生きていくその道しるべを説いている学問とも考えられます。そう考えてみると、さまざまな分野で人びとの上に立つ人、例えば政治家、企業の経営者、業界の指導者たちはまず、この哲学の真髄を勉強すべきだ、とも私は思います。

その昔、経済哲学という学問分野もあり、経済学分野の人びとは哲学を一心に学んだようです。しかし、現在では哲学を熱心に勉強しても、その学問に直結した「職」を得られる人はほんのひと握りであるという事実から、哲学はあまり真剣に学ばれなくなったようです。本来、学問は金銭を得る手段ではないはずですが。少し横道にそれたようですね。

基本の修得こそが大切

街の書店に入って経済学関係の書物に目をやると、とにかく難しそうな用語が散りばめられてあるのが目に付きます。そのような本をいきなり買ったとしても難解な経済学の修得には役立ちません。

学生たちに指導する際、まず基本的な説明が詰まっている本を買い、易しい理論を自分で分かるまで繰り返し読むこと、時には声を出して(小学生のように)読むこと、そして難しい箇所や大切な箇所には必ず「赤線」を入れて読むことを伝えます。そして少し時間を置き、また同じ本の中の赤線部分に対して、自分の理解を確認しながら本を読み進めていけば、自分の知識が増えていく、と教えます。

事実、私が本を読む時には今でも赤鉛筆を手にして読みます。なぜなら、赤線が引けない「スマホ」で難しいことを学ぼうとしても、容易に知識が身に着かないと自分の経験上、実感しているからです。

また毎日、新聞を読む時にも、必要な箇所は切り取り、スクラップ・ブックに貼り付けておき、それを読み返し知識を増大させることを心掛けています。難解な経済用語や経済理論もよく分かってくると、とてもすがすがしい気分になります。年齢に関係なく「知識の増大は、自分の喜び」だと思えるのです。

今回は、経済学を学ぶ方法について述べました。読者の中で、もうとっくの昔にこのようなことを修得している方には、いささか蛇足だったかもしれませんね。もしそうだとしたら、どうか許してください。

もし経済理論により深い知識を得たいと思う読者がいらっしゃったら、私と一緒になって勉強をしましよう。今回もこの記事を読んでくださりありがとうございました。



岡地勝二 プロフィル
関西大学経済学部卒業。在学中、ロータリークラブ奨学生としてジョージア大学に留学、ジョージア大学大学院にてM.A.修得。名古屋市立大学大学院博士課程単位終了後退学。フロリダ州立大学院博士課程卒業Ph.D.修得。京都大学経済学博士、龍谷大学経済学教授を経て現在、龍谷大学名誉教授。経済産業分析研究所主宰

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