【今さら聞けない経済学】「経済学」をめぐる人びと

日本や世界の経済ニュースに登場する「?」な話題やキーワードを、丁寧に分かりやすく解説。
ずっと疑問だった出来事も、誰にも聞けなかった用語の意味も、スッキリ分かれば経済学がグンと身近に。
解説・文=岡地勝二(龍谷大学名誉教授)

第32回:「経済学」をめぐる人びと

文学作品と経済学

今年のノーベル賞受賞者が発表され、ノーベル文学賞は5歳でご両親と共に日本からイギリスへ渡り人生を文学活動に捧げたカズオ・イシグロさんが授賞されました。文学とは遠いところで生きてきた私もこの度、彼の代表作の1つである『日の名残り』を読み、大きな感動を覚えました。

この作品の舞台はイギリスの伝統的な宮殿です。私はかつてイギリスのオックスフォード大学で、わずか3カ月でしたが、研究生活を送ったことがあります。オックスフォードの近くにブレナム宮殿があり、イシグロ作品の舞台はこの宮殿ではないか、と勝手に想像しながら読みました。

この作品には、第1次世界大戦後の保障問題が話し合われた「ベルサイユ条約」と、最高の経済学者といわれるケインズの名前が登場します。よく知られているように、ケインズは、ヨーロッパが再び大きな戦火に見舞われることを避けるために「戦争に負けたドイツに高額な賠償金を求めるべきではない」と警告しました。しかし、さんざんドイツに痛めつけられたフランスはとても高額な賠償金を求め、ドイツは第1次世界大戦の21年後の1939年、もう一度フランスとイギリスに第2次世界大戦を仕掛けたのです。『日の名残り』には、このことが述べられています。

世界の経済学者たち

さて、今回はいつもと趣きを変えて、世界中の経済学者という角度から、経済学を学ぶ有意義さについてお話したいと思います。私はこれまで経済学者の端くれとしてさまざまな大学で研究生活を送ってきたお陰で、アメリカと日本の大学ですばらしい先生方に接することができました。私の体験を交えてお伝えします。

デビット・M・ライト(David McCord Wright)教授(ジョージア大学)

私は22歳のころ、アメリカのジョージア大学で学ぶ機会に恵まれ、著名な経済学者であるデビット・マッコード・ライト先生の指導を受けました。ライト先生は、ハーバード大学の高名な経済学者J. A .シュンペーターのお弟子さんでした。

第2次世界大戦前後に活躍したシュンペーターは、ケインズと並び称されるほどの学者で、経済学を学んだことがある人でしたらその名前を覚えているはずです。例えばシュンペーターが唱えた、「イノベーション(innovation、革新)」という言葉は、提唱以来ずっと企業の生産理論の中心的命題でした。

ライト先生は、「経済と成長」というタイトルの講義の中で、先生の恩師シュンペーターによる資本主義の発展形態を、とても情熱的に教えてくださいました。経済は絶え間ない基軸革新を成し遂げなければならない、というのが先生の主張です。時として、「この件はケインズと直接議論した」と言ってケインズからの手紙の実物を示しながら講義する姿に、尊敬の念を胸いっぱい抱いたものでした。当時、ライト先生のいるジョージア大学で経済学を学ぶことは、学生の誇りでもありました。

アバ・P・ラーナー(Abba P. Lerner)教授(フロリダ州立大学)

その後、私はフロリダ州立大学で学び、世界中の研究者なら誰ひとり知らない人はいないほど有名なアバ・P・ラーナー先生という研究者の指導を受けました。当時ラーナー先生は高齢でしたが、現役の研究者として精力的に研究活動を続けていらっしゃいました。

そのラーナー先生を有名にしたのが、「マーシャル・ラーナー条件」という理論です。これは、外国為替市場の安定性を分析する際に用いられる分析理論で、外国為替市場で、為替相場の変動によってその国の国際収支がどのような影響を受けるか、ということを分析する時に用いられます。このマーシャル・ラーナー安定条件を導き出すには、次のような基本式を用いるのが一般的です。

B = PX - rP‘X’

この式の「B」は国際収支を、「P」と「P‘」は自国と外国の輸出価格を、「X」と「X’」は自国と外国の輸出量を、「r」は為替相場を示しています。この「r」が変化することで、自国の国際収支にどのような変化をもたらすのかを分析するのがこの式です。

私は、ラーナー先生から講義中に、「カツジ、マーシャル・ラーナー条件を導出し、その経済的意味を説明したまえ」と言われ、できなくてオロオロしたことを思い出すと胸が痛むような気持ちになります。

ラーナー先生は昔、イギリスのケインズの元で研究生活を送ったことがあり、その時にケインズの「一般理論」の骨組みを作るお手伝いもしたそうです。

またある時、私はラーナー先生の研究室に呼ばれ、「出来の良くない」私が恐る恐る伺うと、先生から「頼みたいことがある」と言って『FLATION』というタイトルの英語の本を渡されました。「君、日本のウザワに手紙を書いてくれないか」とおっしゃるのです。この本を日本語に訳し、日本の読者に読んでもらいたい、ということでした。

そこで私は、日本の東京大学で教鞭を執られていたこれまた高名な経済学者、宇沢弘文先生にフロリダから日本語で、ラーナー先生の本の日本語翻訳と出版をお願いする手紙を書きました。やがて宇沢先生から丁寧な返事が届き、とても忙しくて翻訳の仕事はできない、君が翻訳をしなさい、ラーナー先生にくれぐれもよろしく、という内容でした。後で知りましたが、宇沢先生は元々翻訳の仕事はされないということでした。私は、宇沢先生から翻訳しなさいと言われたとラーナー先生に申し上げる勇気はありませんでしたが、世界の超高名なお2人の研究者から声を掛けて頂いたことは、今でも心の底にほろ苦い思い出として残っています。お2人は今では世界の学会から永遠に去ってしまわれました。

柴田裕教授(名古屋市立大学)

日本では、大学院生として名古屋市立大学で柴田裕先生の指導を受けました。柴田先生は、国際経済論研究の第一人者であり、国際経済学のみならず経済理論全般にわたって極めて造詣が深く、多くの著作をお持ちでした。

近代経済学の知識が不足していた私は、ゼミでの議論についていけず、しばしば研究室に呼ばれて個人的な指導を受けました。柴田ゼミにはとても優秀な院生が集まっており、私は先生から「基礎的な本を徹底的に読みなさい。大切なところは絶対に自分でノートに書き写して勉強しなさい」と、強く言われました。そして、ゼミで議論の輪の中に入りなさい、そうすれば今何が大切かということが分かる、と繰り返し指導してくださったのです。また、ちゃんと経済学の本質が理解できるまでどこの大学の教員採用にも推薦しません、とも言われました。

私は20代の中頃まで、大阪のカメラ・メーカーのコニカミノルタ貿易部に勤めていましたが、大阪の夜の赤い灯・青い灯を求め「社用」と称してさまよい歩くような会社員時代でした。しかしこれではいけないと思い、大学教員になると目標を定めて会社を辞め、博士課程に進学したのです。しかし、大学に職がなければ、何のために大学院へ行ったか分かりません。私は柴田先生の指導のままに無我夢中で勉強をしました。この経験を後年、私自身が大学の教員になってから学生たちに聞かせ、専門書を読む時は重要な部分に赤鉛筆で線を引きながら、柴田先生がおっしゃった通り熟読するように指導しました。

私が大学院にいた当時、名古屋市立大学では、日本を代表する先生方が柴田先生のご縁で客員教授として、短期間ですが講義をされていました。中でもとても深く指導を受けたのは、当時、国際経済論で日本の第一人者だった神戸大学の池本清先生です。池本先生は数学に明るい先生で、黒板にいっぱいの数式を書いてそれぞれの展開を説明されるのですが、数学の知識不足の私には、なんだかそれらがアラビア語のように見えるばかりでした。柴田先生も池本先生も、残念ながらお亡くなりになりました。

また後年、勤務している大学から国内留学を命ぜられ京都大学の経済研究所で学んでいた時、京都大学の杉本昭七教授、森棟公夫教授から手を取るように指導して頂きました。杉本先生は院生にとても丁寧に教えるので、大学教授としてのお手本を見せられたようでした。先生とは京都大学のある百万遍をくまなく飲み歩いたり、テニスをしたりもしました。

森棟先生は、アメリカでも超有力なスタンフォード大学で博士号を取り、日本の経済学会を代表する学者であるにもかかわらず非常に謙虚で、そしてスポーツ好きで、まさに学者の鑑のような方。両先生からは、本当に「一流」と言われる学者は謙虚である、ということを教えられました。

また、私が関西大学の3年の時、アメリカのシカゴ大学への留学を終えたばかりで颯爽(さっそう)と教壇に立たれた若き山本繁信先生には、限りない憧れと尊敬の念を覚えました。山本先生からは、私が大学教員になってからも絶え間なく指導して頂いたものです。

大学で教え、研究を職業とすることは、限りなく多くの人びとの指導を「受けながら」人生を送っていくことです。いかなる人がどの道に進もうが、人とのつながりを大切にしない限り生きてはいけないでしょう。経済学を学ぶ上でも人との出会いは、何にも勝る「宝」と言えるのではないでしょうか。今回も読んでくださりありがとうございました。



岡地勝二 プロフィル
関西大学経済学部卒業。在学中、ロータリークラブ奨学生としてジョージア大学に留学、ジョージア大学大学院にてM.A.修得。名古屋市立大学大学院博士課程単位終了後退学。フロリダ州立大学院博士課程卒業Ph.D.修得。京都大学経済学博士、龍谷大学経済学教授を経て現在、龍谷大学名誉教授。経済産業分析研究所主宰

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