【今さら聞けない経済学】国際取引の自由な拡大こそ経済発展の要

今さら聞けない経済学

日本や世界の経済ニュースに登場する「?」な話題やキーワードを、丁寧に分かりやすく解説。
ずっと疑問だった出来事も、誰にも聞けなかった用語の意味も、スッキリ分かれば経済学がグンと身近に。
解説・文=岡地勝二(龍谷大学名誉教授)

第36回:国際取引の自由な拡大こそ経済発展の要

最近、新聞報道やテレビ番組で目玉が飛び出るようなトランプ大統領の言葉がありました。第1に「北朝鮮の金委員長に5月ごろ会う」というもので、世界の政治・経済が一挙にひっくり返るような報道となりました。それと同様にびっくりした第2の言葉は「アメリカに入ってくる外国製品に輸入関税を大幅に掛ける」、というものでした。おやおや、アメリカは世界経済の「盟主」ではなかったのか、と世界中の人びとは思ったに違いありません。とは言っても「アメリカ・ファースト(アメリカ第一主義)」を掲げて大統領選挙に当選したトランプ大統領は、当然このような言動を平気で繰り返すだろう、と世界中の人びとはトランプ大統領の言動にうんざりし、引きずり回されているのが現状です。

そこで今回のコラムでは、世界経済が「均衡の取れた発展」を営むには何が必要か、ということを考えてみたいと思います。

輸入制限の署名の驚きとは

トランプ大統領は、2018年3月8日にアメリカに入ってくる「鉄鋼に25パーセントとアルミニウムに10パーセントの関税を掛ける」という政策に大統領署名すると宣言したのです。

鉄鋼やアルミニウムといった製品は産業の「米」と言われている程の基幹製品なのです。そのような製品に高率の関税を掛けることによって、アメリカへの輸入を減少させようとするのです。

つまり、トランプ大統領は、アメリカは「保護主義に走る」、と世界に向けて宣言したのです。この宣言に世界の経済関係者は腰を抜かさんばかりの驚きをもって直面しました。アメリカは世界経済の「大旦那」ではなかったのか。アメリカがくしゃみをすれば日本などは肺炎になる、とも言われている程アメリカ経済の力は大きいのです。そんなアメリカが率先して、自国経済第一主義という「保護貿易主義」に走れば世界経済は一体どうなってしまうのでしょうか。

ある国が自国の経済の状態をより良くしていくためには、よりたくさん物(財)を生産して、それをどんどん自国と外国で売って収入を得て(GDPの増大)、その収入を人びとに分配していかなければなりません。そして人びとはそのお金でよりたくさんの財を自国と外国から購入(消費活動の活発化)して生産の拡大に貢献していくのです。これが生産の拡大の貴重な「再生産システム」です。

それが世界規模で展開されて世界経済はより発展すると言われています。それは世界経済拡大のメカニズムです。

第2次世界大戦勃発の反省点

上記で述べた展開を歴史的事実として見てみましよう。全世界を奈落の底に突き落とした真の原因は、世界各国が「自国経済第一主義」という「保護貿易主義」に走ったことにあります。それが第2次世界大戦という悲惨な戦争を勃発させたという結論から、そろそろ第2次世界大戦が終わると見られた1944年の夏(7月22日)にアメリカのニュー・ハンプシャー州のブレトン・ウッズという小さな町にアメリカを始め戦勝国の代表が集まり、二度と世界戦争を繰り返さないための話し合いを持ちました。その会議の中心人物が、あの有名なイギリスの経済学者、ジョン・メイナード・ケインズなのです。その会議の開催に際して有名となった「ケインズ・プラン」は、戦後の世界経済の建て直しの中心的存在であったのです。

一般に、経済学を勉強している人にはケインズは近代経済学の父やケインズ経済学―有効需要の原理―の立役者というイメージが先行しますが、ケインズは世界経済安定化のために活躍し、世界平和の構築に経済学の考えを通して貢献した偉大な研究者でした。

ケインズは、アダム・スミス、そして、カール・マルクスと並び、「3大経済学者の1人」であることは間違いありません。

さて、1944年の夏と言えば、まだ日本は、ほぼ全世界を相手に激烈な戦争を展開している真っ最中でしたが、同時に敗戦に1歩1歩近付きつつありました。事実、1944年の7月には、日本にとって南太平洋上の最も重要なとりでであったサイパン島で日本軍が全滅し、敗戦の色が濃くなっていました。既にその時には世界の主な国は、戦後の世界経済の安定性について話し合っていたのです。

そこで話し合われたのは、世界から悲惨な戦争をなくすために、第1に世界貿易の取引においてしっかりとした支払いや受け取りができる制度、つまり、世界通貨体制を確立すること、第2に自国だけの利益をもくろんだ取引ではなく、世界各国の利益が発生するような自由な貿易取引の体制を確立すること、という2つの体制を構築することでした。

第1の目的を遂行するためには、国際通貨基金(IMF)体制を作り上げ、第2の目的を遂行するためには貿易と関税に関する一般協定(GATT体制)を構築することでした。この2つの大切な協定を中心として構築されてきた世界経済体制は「ブレトン・ウッズ体制」と言われ、戦後の世界経済発展の最も基本的な世界の約束事を取り決めた、世界経済発展に極めて大切な制度でした。

GATT体制とは、何だったのか

ガット(GATT)とは、General Agreement on Tariffs and Tradeの略です。それは、「関税と貿易に関する一般協定」と言われており、世界貿易において自分の国の利益だけをもくろんで、相手国に高い関税を掛けたり、「輸入制限をしてはいけませんよ」という約束事なのです。ガットの精神は「各国は、貿易を通じて相互に補い合い、互いの生活水準を高めることを究極の目的とする」という言葉によって表わされています。この言葉は、世界は余程のことがない限り「貿易制限」とか「高い関税」を掛けて貿易の障害をしてはならない、という意味です。

このガットに日本の加盟が認められたのは、日本の敗戦後10年が経過した1955年のことでした。ガットの中心テーマは「世界貿易の自由体制の確立」ということでした。つまり、世界の国々は、貿易制限をしたり、相手国の輸入財に高い関税を掛けてはならない、という決まりなのです。戦後10年にして、このガットに加盟を許されたお陰で、日本は、国内が爆弾によって焦土化したにもかかわらず、他国から見ると安価で優秀な製品を製造し、世界に、とりわけアメリカへ大量に輸出し、その支払いとして入手した「外貨(ドル)」で世界から原料を買い入れて、更に製造、生産の拡大に励みました。

しかし、世界の経済状態は、ガットの精神に反するような現象が起こり、とても自由貿易の推進という現実から程遠いという在り様でした。ガットを中心として自由貿易の推進を図るのですが、現実的には進展せず、そこでガット加盟国による、ガット一括交渉という制度が採られるようになりました。それを「ラウンド交渉」と言います。第1回の交渉は、1947年にスイスのジュネーブで始まりましたが、会を重ねるごとにそれぞれ名前が付けられるようになりました。日本にとって忘れられない交渉は、1986年から始まった「ガット・ウルグアイ・ラウンド」という交渉です。この交渉で、日本が強烈にやり玉に挙がったのです。このウルグアイ・ラウンドにおいて、農産物の例外なき関税化が決議されたのです。

それまで「日本の国是」として、「米は一粒たりとも輸入せず」としていました。しかし、それがこの一括交渉でやり玉に挙がって、日本政府は、米市場を開放しなければならなくなったのです。つまり、日本政府は、当初、米のミニマム・アクセス(最低輸入量)を受け入れ、米の輸入の関税措置を延期してもらっていたのです。しかし、1999年からは米の輸入の関税化に踏み切らざるを得なくなりました。

このウルグアイ・ラウンドにおいては、更なる国際貿易秩序の確立を目指すことになったのです。

WTOの設立

世界経済は、より大きな発展を求めて一段と踏み込んだ機関を設立したのです。それが、世界貿易機構(World Trade Organization = WTO)と言われるものです。このWTOは、ウルグアイ・ラウンドが進行している時、1995年に設立が決定しました。これまでガットで行えなかった国際貿易上の紛争処理を実質的に実行し、より秩序のある発展に導くことを主眼としてガットを発展的に解消し、WTOを設立しました。

現在、このWTOに加盟している国は164カ国とされ、本部をスイスのジュネーブに置き、社会主義経済が崩壊した中国は2001年に、ロシアは2012年に加盟が承認されました。

WTOの加盟国はWTOで機関決定したルールは必ず守る義務を各国に持たせることにしました。つまりWTOにおける貿易紛争処理能力と権限はガットに比較できない程、強力なものがあると言えます。

とは言え、WTOにおいてもガットの「最恵国待遇」などの基本的な精神は引き継がれています。この最恵国待遇とは、今ある国がA国と貿易をしているとします。A国に対して最大の待遇をした時、その国がまたB国とも貿易をする時、その国はB国に対してもA国と同じ待遇をしなければならない、という考えです。

国際貿易において、全ての国同士がこのような関係で結ばれていれば、世界は一層平和になると思います。

トランプ大統領も、更に国際経済学の理論を学び、そこで教えている立派な考えに基づいて国際関係の友好的樹立に臨んで頂きたいと思います。


岡地勝二
関西大学経済学部卒業。在学中、ロータリークラブ奨学生としてジョージア大学に留学、ジョージア大学大学院にてM.A.修得。名古屋市立大学大学院博士課程単位終了後退学。フロリダ州立大学院博士課程卒業Ph.D.修得。京都大学経済学博士、龍谷大学経済学教授を経て現在、龍谷大学名誉教授。経済産業分析研究所主宰

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