【今さら聞けない経済学】日本経済の再生の道

今さら聞けない経済学

日本や世界の経済ニュースに登場する「?」な話題やキーワードを、丁寧に分かりやすく解説。
ずっと疑問だった出来事も、誰にも聞けなかった用語の意味も、スッキリ分かれば経済学がグンと身近に。
解説・文=岡地勝二(龍谷大学名誉教授)

第37回:日本経済の再生の道

「そもそも論」の話

私は大学を始め、さまざまな所で講義や講演を依頼され、その都度喜んでお話をしております。講演中、観客の方がいきなり質問され、私がきりきり舞いすることがよくあります。

例えば、こんな質問があります。「一体、1ドル何円と誰が、いつ、どうやって決めたのですか。また、今もどのような仕組みで1ドルが何円と決まるのですか」、というものです。

とても基本的な質問ですが、経済の現実を学んでいく上で大切な質問です。

そこで今回は、「そもそも論」から考えていきましょう。果たして、かつて1ドル=360円と一体誰が、いつ、どのような経緯で決め、その結果、日本経済はどのようになったのでしょうか。

まず、1ドル=360円が決められた背景から見てみましょう。1949年は、日本が戦争に負けて4年が経った時ですが、当時アメリカ占領軍のトップだったダグラス・マッカーサー最高指令官の指示で、アメリカのミシガン州デトロイトにある銀行の頭取であったドッジ氏が、占領軍の特別顧問として日本に来ました。ドッジは、マッカーサーの指示により日本の「インフレ退治」に乗り出します。つまり、ドッジは、いわゆる「インフレ・ファイター」だったのです。

しかし、ドッジは、日本が一人前に歩き出すにはどうしても海外から資源を買わないと、どんな経済活動もできず、日本で作った物を海外へ売らなければ生きていけない、という現実に直面したのです。

しかし、戦争で負けた日本は、どこから何を買ったら良いのか分かりません。売ることに関しては、当面はアメリカへ売れば良し、と考えたのですが、外国から物を買うには「支払い」が必要ですし、物を売ったら「受け取り」が必要です。そこで、最初に1ドルを何円と決めなければならなかったのです。そしてドッジは、「今の日本の実力からして1ドル=360円くらいが良かろう」と決めたのです。なぜ360円かって? こんな話もあります。ドッジは、「円は丸、丸は360度だ」と。なので1ドル=360円とした、という一見、冗談のような話もあります。結局、国際通貨基金に申請し、そこで1ドル=360円と「固定化」されたのです。この相場で外国との取り引きに乗り出していったのです。

固定相場制とは何か

1ドル=360円と決めたことは、その後の日本経済にとても好都合でした。さて、1ドル=360円とは何を意味するのか。1ドルを買うのに360円必要であり、「ドルと日本円の交換レートが360円」ということです。つまり、ドルの相場が360円ということなのです。相場とは、「値段」とか「価格」のことを意味します。ドルが随分高かったことが分かります。逆にアメリカから見ると、円はとても安かったのです。なので、このことをドル高・円安と言います。

しかし、日本の人びとは節約をしてお金を貯め、そのお金でドルを買い、そのドルで海外から資源を買い、日本人の優秀さ溢れる知識を駆使して物を生産し、それをアメリカへ輸出してドルを稼いだのです。

乗用車の例を考えてみましょう。車1台が100万円とします。その車をアメリカで売る際、1ドル=360円という相場では、100万円の車は、約2,880ドルでした。アメリカ産の車に比べると安いのです。そこでアメリカの人びとは、自国製の車から日本製の車へと需要を切り替えたのです。つまり、当時の日本では100万円の車はとても高いのですが、アメリカの人びとにとって2,880ドルという価格はとても安かったのです。そこで一斉に、「アメリカ車よ、さようなら。日本車よ、こんにちは」と彼らはこんな言葉を口にするようになり、日本車は飛ぶように売れたのでした。これは、車に限らず、その他の日本製のテレビや、カメラといった物に対しても需要が増大していったのです。

私が、1965年にジョージア大学で学んでいた時、大学の友人が突然、「カツジ、足の裏を見せろ」と言うのです。不思議に思いながら、言われるままにすると、彼は「おー!

やっぱりこれもメイド・イン・ジャパンだ!」と言ってからかうのです。当時、アメリカのお店に並んでいる物の裏を見ると、そのほとんどに「日本製」の刻印がされていたのです。それほど日本からの輸出製品は街に溢れていました。

それは1ドル=360円とドル相場がドル高・円安に固定されていたからです。1ドル=360円という「固定相場」は日本経済に極めて有利に働いてくれたのです。当然、それはアメリカ経済にとって「不利」になったことは言うまでもありません。

アメリカがだめになったのは、日本のせいではない

その時、アメリカでは、とりわけ生産者の間で、「日本は不公平だ」、「日本はあまりにも勝手だ」という声が怒涛のように沸きあがり、「日本製品をボイコットせよ」という声が沸き上がりました。日本製品を、ワシントンの国会議事堂前で、ハンマーで叩き割る、という衝撃的な光景を日本で人びとは目にするようになりました。日本企業は、どうすることもできず、一様に自主規制という処置を取りました。それは、単にアメリカと日本だけの問題ではなく、これまで自由世界の「覇者」であり続けたアメリカ経済全体にとって「斜陽」となったのです。

それは1960年後半から始まった、あの忌まわしいベトナム戦争でアメリカという超巨大国が「敗者」になるという悲劇が発生し、それによってアメリカは一挙に斜陽に入っていったのです。つまり、アメリカはベトナム戦争で非人道的な道を取ることによって、戦費を無尽蔵に注ぎ込み出したのでした。これにより、国際通貨であるドルは垂れ流しの状態になり、世界にドルが溢れ出し、「ドルへの信用」は低下の一途をたどるようになりました。当然の帰結として、ドルに対しての信用は底を着くようになりました。

当時の世界の通貨体制は、「金=ドル本位制」という制度で成り立っており、ドルの信認を得るためにドルの価値を金と結び付けていました。これは、アメリカの通貨であるドルを持つことは、金を持つことと同じだという制度です。ここで、特にヨーロッパの国々は伝統的に、アメリカ1国主義を良しとしない風潮が存在していた関係上、各国はアメリカへの輸出で稼いだドルをすぐに金と交換するよう要求しました。

つまり、アメリカのお蔵の中に溜め込まれた金がだんだんと減少していきました。そして、これ以上、金を要求してもアメリカはその要求には応じない、と世界に宣言をしたのが、「金・ドル交換の停止宣言」と言われ、それを発表したのが、当時のアメリカ大統領リチャード・ニクソンであったことから、「ニクソン宣言」と言われました。その宣言に端を発して、戦後の世界貿易の基本であった金・ドル体制は、ここに崩壊することになり、世界経済は奈落の底へ突き落とされることになりました。この出来事は、世界中の人々から「ニクソン・ショック」と言われています。1971年8月15日のことです。

「円高」という問題から開放されるためには

日本経済は、よく輸出で持っている国だ、と思われているようですが、実際に統計資料を見てみると、日本の全GDPに占める輸出の割合はそう高くありません。

日本のGDPに占める輸出の割合

  • 2015年 14.6%
  • 2016年 16.1%
  • 2017年 15.8%
  • (資料:「日本の統計 2017 総務省統計局」)

上記の表は、GDPに占める輸出の比率ですが、大体15~16%程度です。日本の経済は、いわゆる「輸出依存型」経済ではない、と言えるでしょう。従って、これらの数字から、日本経済が「輸出で持っている国」という事実から少し離れているようです。

と言っても、輸出など必要ない、と言えば全くそうではありません。現在も日本で深刻な問題となっている日本国内における人口の減少に伴って、消費者人口も減少の一途をたどっている問題のことです。日本経済が限りなく拡大を続けていくためには輸出の増大が不可欠であり、「外需」の必要性が今まで以上に高まっていく、と思われます。そうなると、日本の輸出がGDPに占める比率が20%以上になることが望ましいのです。そのためには、どのような対外経済政策が必要かということが大切な議論だといっても過言ではありません。日本の輸出拡大が、ドルと円との関係によって首根っこを縛られているようでは、あまりにも不安でたまりません。日本の輸出にとって、円高という厳しい制約から解き放たれることが何よりも必要だ、とも考えられます。

しかし、この円高から「解き放たれる」政策というものは、すぐには考えつきません。あえて、考えを述べるとすれば、「円の国際化への道」だと言えます。太平洋を中心として巨大な「自由貿易圏=環太平洋自由貿易連携=TPP」の形成が実現される気配が見えてきました。そのTPPにあれほど反対していたアメリカ・トランプ大統領も、何だかその仲間に入りたい意向を示し始めたようです。そこで、このTPPでの取引には何としても円での取り引きの拡大を提案したいものです。そして、「円高」という問題から少しでも離れて、更なる自由取引、ひいては日本の経済を拡大したい、と願っているのが現在の日本経済の状態です。


岡地勝二
関西大学経済学部卒業。在学中、ロータリークラブ奨学生としてジョージア大学に留学、ジョージア大学大学院にてM.A.修得。名古屋市立大学大学院博士課程単位終了後退学。フロリダ州立大学院博士課程卒業Ph.D.修得。京都大学経済学博士、龍谷大学経済学教授を経て現在、龍谷大学名誉教授。経済産業分析研究所主宰

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