タスマン橋の惨事から40年の追悼式

12人の犠牲者をしのび、20分閉鎖

 1月5日午後9時15分、TAS州ホバートのダーウエント川に架かるタスマン橋が20分間通行止めになり、40年前に起きた橋桁崩壊の犠牲者12人を追悼する式典が行われた。

 1975年1月5日午後9時27分、パイロットを乗せず、船長が自らパイロットを務めていたバルク鉱石貨物船「レーク・イラワラ」が橋脚に激突、中央部の橋脚2本と径間127mが倒壊、レーク・イラワラの上に降り注いだ。ちょうど橋の上を走っていた車数台が転落、乗っていた5人が死亡している。また、レーク・イラワラも水底に沈み、船員7人が死亡している。レーク・イラワラは今もコンクリート板の下敷きになったまま横たわっており、積み荷の亜鉛鉱石で水の汚染が気づかわれている。

 式典にはスー・ヒッキー・ホバート市長とダグ・チップマン・クラレンス市長が碑板の除幕式を行い、花輪を水面に投げた。9時27分には1分間の黙祷に入り、橋の照明が落とされ、35分に交通が再開された。

 レーク・イラワラの船長はそれまで何度も同水路を航行しており、事故当日もパイロットなしでの航行が許可された。しかし、ダーウエント川の流れが予想外に速く、また、船長や航海士が十分前方を注意していなかったため、船は大きく航路を外れ、タスマン橋の橋脚に向かって行き、船長らが気づいた時にはすでに遅く、回避行動を取ることができなかった。

 事故から数時間後にはフェリーの運行が始まり、1年後には臨時橋も架けられた。しかし、タスマン橋が再開通したのは2年半後だった。事故以後は、船舶が橋の下を航行する際には橋が一時通行止めになり、全船舶にパイロット乗務が義務づけられている他大型船舶はタグボートが誘導しなければならなくなった。橋の耐久寿命は100年とされている。
■ソース
Tasman Bridge disaster: 40 years on, Tasmania remembers night of deadly accident

http://www.abc.net.au/news/2015-01-05/tasman-bridge-disaster-40th-anniversary/5998396

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