1816年の「アピンの虐殺」記念式典

マコーリー総督時代の暗い歴史

 1816年、名総督といわれるラクラン・マコーリー総督がニューサウスウェールズ植民地を代理統治していた時期、シドニー首都圏南西部アピンで政府軍兵士によって少なくとも14人の地元アボリジニが殺害された。4月17日、その史実を踏まえ、子供を含めた被害者を追悼する式典がNSW州総督らも出席し、1000人を超える人が集まり、開かれた。

 ABC放送(電子版)が伝えた。

 当時しばしば、その土地で暮らしていた先住民族と、その土地を囲って農牧を始める白人入植者との間に衝突が起きており、マコーリー総督は、「やっかいな黒人を取り除け」と命令し、政府軍3連隊をアピン地域に派遣した。アピン付近でキャンプしていたアボリジニのグループが男女も子供も軍隊に追い立てられ、崖に追い詰められ、突き落とされた。政府側の記録では14人が殺害されたとしているが、アボリジニ側はもっと多かったのではないかとしている。

 式典にはデビッド・ハーリーNSW州総督、ダラワル・グループの子孫らが集まった。ダラワルの1人、グレンダ・チョーカーさんは、「キャンプを襲い、先住民族グループを狩るという軍事作戦は、ネピアン川流域地域の当時の入植者とアボリジニの間で行われていた襲撃と反撃のパターンだった。軍隊が地元アボリジニを殺害したことは間違いない」と語っている。

 また、ギャビン・アンドリューズさんは、「戦闘で殺したアボリジニを木に吊り下げ、生き残った者にも恐怖感を与えるようにという命令が出されていた。政府が地元アボリジニを敵として戦時体制にあった。当時の植民者へのメッセージは、土地を開拓する上で黒人が妨害するなら皆殺しにしても構わない。黒人を射殺しても罪に問われることはないということだった」と語っている。

 NSW大学の歴史講師、ジョン・コナー博士は、「マコーリー総督は前線に行く将校に対してはっきりと命令し、兵士がアボリジニを殺害した場合にも判事が兵士を擁護するよう手配していた。殺害されたアボリジニは見せしめのために木に吊り下げられ、生き残った者達にはその土地に近づくなという警告になった」と語っている。

 また、チョーカーさんは、ハーリー総督にはマコーリー総督の行為を政府として謝罪するよう望んでいるが、もし、一つの虐殺事件に謝罪すると国中でたくさんの虐殺事件に謝罪しなければならなくなるから、政府が応じるかどうかは分からないと語っている。
■ソース
Sydney massacre of Aboriginal people at Appin remembered by thousands

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