フレーザー元保守連合首相(84)死去

在任当時は保守、晩年は「左傾化」

 3月20日、マルコム・フレーザー元保守連合連邦首相(84)が死去した。

 ABC放送〔電子版)が伝えた。

 フレーザー氏は、1975年にジョン・カー総督が罷免したゴフ・ウィットラム労働党政権に代わって、カー総督から政権を任され、その後の選挙でも当選、国民の支持を得た。そのため、首相在任当時は労働党支持者から憎まれる存在だったが、晩年はしばしば人権や平等、平和など革新派的な立場からの発言で労働党支持者からも支持されるようになっていた。特にトニー・アボット自由党に対して猛烈な批判を加え、遂に自由党党員を行動にまで発展した。

 晩年は、「オーストラリア政治史上の巨人」とか「偉大なモラルの指針」などと呼ばれるようになっていた。

 フレーザー氏の事務所が声明文書を発表し、「2015年3月20日早朝、ジョン・マルコム・フレーザーが病気のために死去した」と述べている。

 フレーザー氏は、1930年に豊かな農家に生まれ、1955年に史上最年少で連邦議員になっている。その後20年間にわたり議員生活を続け、1975年に野党党首になって間もなくして同年11月11日のゴフ・ウイトラム内閣後、首相になったが、それ以前、ハロルド・ホルト政権で陸軍相、ジョン・ゴートン内閣の国防相、教育相などを務め、「多文化主義」を主張している。また、国力増強には移民が重要とする政策を進め、当時のまだイギリス人のオーストラリアという国民心情に対して文化的多様性はオーストラリアの弱さではなく強さだ」と唱えている。

 1983年にはボブ・ホーク労働党に敗れ、政界を引退した。1997年にジョン・ハワード保守連合が政権を握った選挙で極右のポーリン・ハンソン候補が無所属で当選し、ワンネーション党を結成した時期から保守連合を左から批判するようになり、トニー・アボット氏が自由党党首になった後、フレーザー氏は自由党を脱退し、以後、人権などへの発言を強めてきた。

 妻と子供4人が存命。
■ソース
Malcolm Fraser: Australia’s 22nd prime minister dies aged 84

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