日本人女性、40年暮し、愛したバサーストを水彩画に描く

非公式ツアーガイドとしてバサーストの町を日本人に紹介

 6月2日のABC放送セントラル・ウエスト支局は、NSW州内陸の町、バサーストに住む日本人女性、フデコ・リーキーさんを紹介している。

 ABC放送(電子版)が伝えた。

 長野県出身のリーキーさんがバサーストに住み始めて40年、日本語教師を務めるかたわら、非公式のツアー・ガイド、親善大使として、日本からの視察団や使節が訪れる度にバサーストの町を紹介してきた。また、若い頃から好きだった水彩画でバサーストの風景を描いてきた。

 今回、バサーストの建物などを写した写真とリーキーさんの水彩画に英語と日本語のキャプションを添えた本が出版された。

 リーキーさんは、ABCローカル・ラジオのインタビューに答え、日本で教育を終えた後、カナダに渡った。そこで夫のコリンさんと巡り会い、教師・講師の仕事をしていたコリンさんと共に世界中を回り、パプア・ニューギニア(PNG)に滞在し、そこでアンセット航空に務め、主にPNGの旧戦場を訪問する日本人旅行者向けの通訳、添乗員を務めた。しかし、PNGの独立後は、コリンさんがオーストラリアに職を得たため、このバサーストに移り住んだ。

 リーキーさんは、子供の頃から水彩、油絵、水墨が好きで、世界を回っている時も常に風景、建物、人々を描いてきた。バサーストに住み着くと、再び絵筆を進めた。リーキーさんは、「整然とした美しい町だと思った」と語っている。

 1975年に学校で日本語を教え始めた頃から、日本の視察団や著名人の訪問を非公式に案内するようになり、リーキーさんはバサーストの紹介に努めた。「日本は狭いところに大勢の人が住んでいるため、日本からバサーストを訪れる人達は、田舎の暮らし、広々とした大地、農場の生活をとても気に入ってくれている」と語っている。

 リーキーさんは、両国の友好に果たした功績を称えられ、2013年に旭日章を受章している。

 また、1991年にバサーストが福島県の大熊町と姉妹市町となったのもリーキーさんの働きが大きかった。双方から学校生徒や各界のリーダーの交歓が続いており、2011年の震災、津波、原発事故で大熊町が甚大な被害を受けた後も双方の関係はより強く続けられている。
■ソース
From Japan to Bathurst: 40 years of living in and loving regional Australia told in paint

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