「シグネチャー」 ディレクター  TACAさん

豪で輝く30'sキーパーソン日豪プレスも今年で31歳 ! ということで、オーストラリアで活躍する30代に、“活き活きと輝く”ための秘訣を聞く。

第4回
「シグネチャー」
ディレクター
TACAさん

目指すは世界

「目指すからには日本のトップではなく世界のトップ。その思いだけで海外に飛び出したんです」。信念を感じさせる力強い言葉と、人なつっこく屈託のない笑顔とのギャップが、もしかしたら彼の最大の魅力なのかもしれない。シドニー市内にヘアサロン「SIGNATURE(シグネチャー)」を構えるTACA(タカ)さん(34)は、今をときめくシドニーの人気日本人スタイリストの第一人者だ。朝11時から夜8時までの営業時間はいつでも10人ほどの予約で埋まり、彼に髪を切ってもらうために訪れる常連客は月に300人を越える。それら顧客の6割は日本人以外で占められ、そのうちの半分近くがアジア系ではないオーストラリア人。この割合こそがTACAさんの特徴だ。

オーストラリア人のほどんどは、欧米系人種の髪質をアジア人が理解できるはずがないという先入観から、とかくアジア系サロンを敬遠しがちだからだ。彼の場合は、その腕前とセンスが地元メディアにたびたび取り上げられるだけでなく、2年連続で全豪ヘアスタイル・コンテストで優勝した影響が大きい。

プロ用ヘアケア・メーカー「ウエラ社(WELLA)」が主催するコンテストに出場したTACAさんは2006年、アジア女性をモデルに起用しアジアの美を意識したヘア・デザインで臨み優勝。翌年は敢えて、ブロンド・ヘアで青い目をした白人モデルを起用。“相手の土俵”で勝負し、見事に連続優勝を成し遂げた。

豪で輝く30'sキーパーソン
TACAさんデザインの作品

大きな夢を抱いてワーホリで来豪

1994年にワーキング・ホリデー制度を利用し来豪。目的はヘア・スタイリストとしての「腕試し」だった。

そもそも、パリコレやミラノ・コレクションといったファッション・ショーをテレビにかじりつくように見ていた幼少時代から既に、将来の夢は“世界のファッション業界で活躍すること”。そして、ファッション・デザイナーから次第に美容業界へと興味は広がり、専門学校ではメイクアップを専攻。ヘアサロンに勤めた。今のスタイリストとしての土台はこのサロンで培った。

一般的に言われる日本のサロンと同様に、このサロンも上下関係が厳しく、特に修業時代は苦労が多かった。週6日間1日10時間働いて、閉店後は終電近くまで練習会。週1日の休日も講習会でつぶれることが多かった。平日も休日も朝起きてから寝るまで一人前になるためのトレーニングの毎日に、途中で挫折し夢を諦める者も多い。しかしTACAさんはその日々を苦とは思わなかったという。

「今思えばパッションがあったからだと思う」とTACAさん。その「どこまで通用するか試したい」という想いを胸に5年目、ついに海外に飛び出した。当初の目的地はニューヨーク。学生として入国し、あわよくばどこかのサロンに雇ってもらおうという魂胆だった。しかし学生ビザの申請の不手際でアメリカへの入国を断念。つまり、ワーホリ制度を利用しての来豪は、“しかたなく”という理由だった。

来豪してすぐに勤めたローカルのサロンでは、いろんな意味で勉強になったと言う。英語が話せないという理由で面接をいくつも落とされた後に、フラットメイトの知り合いを通じ「無給で」という条件でアシスタントの職を得た小さな店だった。「英語でのコミュニケーション、スタッフとの仕事の進め方、オーストラリア人社会の空気、すべてが勉強になった。けど、一番驚いたのはまるで友達とでも話しているかのようなオーストラリア流の接客」。お辞儀の仕方、歩き方、お金の渡し方。すべてシステマティックに教えられている彼にとって、客との間に壁を作らない接客態度は衝撃だった。

ローカルのサロンで働いて得た大きな収穫は、自分の身に着けた技術や経験がこの国なら生かせると感じたことだった。

土壇場で訪れた転機

豪で輝く30'sキーパーソン
TACAさんデザインの作品

2年ほど日系サロンで働いた後、チャイナタウンにある中国人経営のサロン「キッポ」で4年働いた。TACAさんにとっての転機は、サービス料の約半分が自分の収入となる「完全歩合制」を採用していたこの店での勤務だった。「最初は自分のお客さんがゼロだから給料もゼロ。給料を得るためには自分でお客を集めるしかない。すごくシンプルでしょ?

30ドルのカットで15ドルが給料だとしたら、10人で150ドル、100人で1,500ドル入ることになる。考え方を変えれば定給で雇われているよりも断然おもしろい」。

まずは新聞のクラシファイド面に自分で三行広告を出すことからスタート。そして、良い仕事をすればお客は戻ってきてくれる。その人をハッピーにすれば、きっと誰かを紹介してくれる。そう信じ、後は口コミで客を集めることした。

このシンプルな考え方は、それまでやっていなかった自分を悔やんだほどで、まるで目から鱗が落ちる気分だったと言う。常連客は次第に増え、100人になり、200人になり、300人になった。努力や実力が数字になって表れる喜びを知ったのだ。

しかし、完全歩合制の欠点はまとまった休みが取れないこと。休めばその間の給料はゼロだ。「どうしても日本に帰る用事ができ1週間休みをとりました。そして戻ってきたら、常連のお客さんが私が帰ってくるのを待っていてくれたんです」。自分を待っていてくれるお客さんがいる。その事実は大きな自信につながった。そして独立を決意した時には、常連客は500人を超えていた。「人間、切羽詰まらないと転機なんて来ない(笑)。だって土壇場の崖っぷちに立たないと思い切ったことはできないと思うから」。

豪で輝く30'sキーパーソン
愛犬のプリンセスちゃんと

アーティストとしての夢再び

2000年で独立。シティのキング・ストリートに「ラ・タッカ」という店を構えた。2003年に今のサセックス・ストリートの店舗に移転。昨年6月に現在の店名に名称を変更し、現在はヘア・スタイリスト3人、ネイリスト2人、レセプショニスト1人の従業員とともに、店を切り盛りする。

しかし経営に関しては、「大変。できることなら、また歩合制で仕事をしたいくらい」と笑う。スタッフの育成、店舗運営のためのマーケティングや管理…。ただ一生懸命に髪を切っていればよかった時とは仕事の質がガラリと変わったからだ。ただし良い面もあった。最近では多くの仕事をスタッフに任せられるようになり、本来の夢であるアーティストとしての作品作りに力を傾けられる時間が増えたことだ。

「上を目指せばコンペティションにはもっと上があります。例えば、毎年6月の女王誕生日の祝日に開催される“ヘアドレッシング・アウォード”は、ニコール・キッドマンやケイト・ブランシェットのスタイリストが出場するような大会で、ヘアドレッシング界のオスカーとも言われている。2年連続のWELLAでの優勝があって初出場できたけど、今年は何の賞も取れなかった。チャレンジングだけどすごくやりがいがある」と目を輝かせる。

来豪15年目。いよいよ本当の腕試しの時が来た。

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