日本航空インターナショナル・シドニー支店 Japan Airlines International

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4月からシドニー線に導入された機体「ボーイング777」

企業研究 114
Japan Airlines International
日本航空インターナショナル・シドニー支店

就航40周年を機にサービス拡充

オーストラリア発需要の喚起に注力

 国内線・国際線合わせて1日平均約1,000便を運航し、世界32カ国・地域の約200都市に乗り入れている日本航空(JAL)。今年9月、1969年のシドニー線就航から40周年を迎える。現在の豪州路線は、高級シート導入などプレミアム戦略の拡大や省燃費の新型機就航によって収益性の向上を図るとともに、好調な豪州人の日本行き需要を喚起していく戦略だ。


「エコノミー・クラス往復:32万5,650円、904ドル60セント」――。1969年9月30日、羽田-シドニー間を初めて飛んだJAL定期便の色あせた運賃表には、こう記載されている。
 その2年前の67年、日本はオーストラリアにとって第1位の輸出相手国となり、既に日豪間の経済交流は活発化していたが、初の定期便は当時の主力機ダグラスDC8を使用し、香港、マニラを経由して、実に16時間もかかる長旅だった。
 それも75年には直行便となり、81年にはボーイング747へと大型化。さらに80年代半ばから右肩上がりに拡大したオーストラリア観光ブームを背景に、パース、ケアンズ、ブリスベン、アデレード、メルボルンなどへカンタス航空との共同運航や自主運航によって次々と豪州路線を拡充していった。

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1969年に就航した羽田-シドニー間定期便の第1便



 ところが、日本人の豪州渡航者数は、バブル崩壊後もしばらくは順調に伸びたものの、97年の約82万人をピークに減少に転じた。その後も、期待された2000年シドニー五輪の集客効果もほとんどないまま減り続け、08年には前年比20%減の約45万7,000人まで縮小。JALも豪州路線の段階的なスケールダウンを余儀なくされ、現在では、自主運航便は成田-シドニーと成田-ブリスベンの2路線にとどまっている。
 また、直近の状況を見ても、08年後半からの世界不況に加えて今年4月末以来の新型インフルエンザ流行に伴う海外旅行需要全体の縮小で乱気流が吹き荒れている。
 JAL便の運航を管轄する事業会社、日本航空インターナショナルの藤田克己シドニー支店長は、「航空・旅行業界にとってはダブルパンチで経営の根幹を揺るがすたいへんな事態だ」と危機感を隠していない。
豪州販売の9割はローカル需要
 しかしながら、日本人需要の縮小とは対照的に、日本を訪れたり、日本を経由して第3国に向かうオーストラリア人の渡航者は年々増加傾向にある。08年は、9月のリーマン・ショックによる金融危機を背景とした急激な円高・豪ドル安で10月以降は前年実績を割り込んだにもかかわらず、通年では9%増の約24万人まで拡大した。
 藤田支店長はこう指摘する。「日本からの渡航者と比較すれば、豪州人の日本行き需要はまだまだ開拓の余地がある。ブリスベン線は日本人観光客が中心だが、シドニー線は日本人と日本人以外の割合はほぼ半々。豪州での販売だけで見ると、豪州人旅客は90%を占めており、その4割が日本行き、6割が日本経由の欧州などへの乗り継ぎとなっている。豪州人の日本行きと乗り継ぎの需要を取り込むことが重要な戦略となる」
 特に伸びているのが、07年に年間3万人の規模に拡大した豪州人の日本のスキー需要。豪州人による不動産投資ブームまで起きた北海道のニセコのほかにも「長野県や新潟県まで含めた地方自治体や、日本政府観光局(JNTO)などと連携したPR活動の重要性が増している」(同支店長)という。
 こうしたアウトバウンド(豪州発日本行き)で追い風を受け、日本発の需要の低迷にもかかわらず、シドニー市店の08年の売上は約1億ドルであった。これは「海外の営業所別では、シドニーはアジア・オセアニア地域ではソウルに次いで2番目、全世界でも4番目の規模」という。JALの世界ネットワークの中でも、南半球随一の重要拠点となっている。
品質向上と収益性の拡大を両立
 また、JAL国際線全体の戦略である「機内設備のプレミアム化と省燃費機材への更新」を豪州でも加速することにより、収益基盤の強化と環境負荷の低減にも力を注ぐ。
 昨年10月には、プライバシーを確保しながら快適にくつろげる高級シート「シェルフラットシート」をシドニー線のビジネス・クラスに導入した。既に同様のシートを従来から導入していた競合便から、ビジネス顧客の需要を取り戻しているという。

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シドニー線のビジネス・クラスに装備されている高級シート「シェルフラットシート」

 今年4月からは、シドニー線の機体をボーイング777(トリプルセブン)に、ブリスベン線をボーイング767にそれぞれ変更。改良を重ねつつも初期型の登場から40年近くが経過した従来のボーイング747から、燃費効率に優れた新型機に切り替え、座席の快適性や機内エンターテインメント機能も向上させた。
 さらに、JALは5月18日、日本発シンガポール経由豪州行きのカンタス航空とのコードシェア便を6月1日から運航すると発表した。業界では、第3国を経由するコードシェア便の設定はきわめて異例。成田発毎日2便、関空発毎日1便のシンガポール行きJAL便と、シンガポール発のメルボルン、アデレード、パース行きの各カンタス便を組み合わせることにより、多国間周遊型の観光旅行や東南アジアを飛び回るビジネス顧客の需要に対応している。
 なお、9月30日の就航40周年に合わせて、シドニー発が777ドル、ブリスベン発が767ドルという日本行き往復特別運賃を発表した。新しい機体名「777」と「767」に語呂を合わせたもので、期間限定で通常より大幅に安い運賃を設定することで、40年間の顧客への感謝の気持ちを形にしている。
 就航40周年の大きな節目を迎えて、世界不況と豪ドル安を克服しながら豪州発の需要をどうやって取り込んでいくか、豪最大手カンタス航空や格安航空ジェットスターなど豪州の競合エアラインだけではなく、アジア系の各社と比較して、JALの高いサービス品質をいかにアピールしていくか――が今後の最大の課題だ。
 「アウトバウンドは、スキーや温泉、日本文化などをいかに宣伝して豪州人渡航者の潜在的な需要拡大につなげるか。また、安全運航はもちろん定時性や空港での顧客へのアシスト、受託手荷物の取り扱い、日本の国内線の乗り継ぎの利便性など品質の高さも最大の強み」と藤田支店長。 日本的なサービスのきめの細かさを豪州人市場にもアピールすることで、他社との差別化を進めていく戦略だ。


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藤田克己・シドニー支店長
栃木県出身、慶応義塾大学卒。1958年11月生まれの50歳。1981年日本航空入社。運航本部(労務、乗員計画、乗務割作成)、客室本部(国際線乗務研修、機内サービス企画、タイ人CA採用)、営業本部(国際、国内マーケティング)、支店(札幌、北京、バンコク)などを経て2008年7月より現職。日本に妻と2男1女(大学生、浪人生、高校生)を残し単身赴任中。

【支店長に聞く10の質問】
①座右の銘:「豪に入れば豪に従え」
②今読んでいる本:「フォーティ 翼ふたたび」(石田衣良)、「理系白書」(毎日新聞科学環境部)
③オーストラリアの好きなところ:色彩豊かな大自然、フレンドリーな国民性
④外から見た日本の印象:八方美人
⑤好きな音楽:クラシック、日本の歌謡曲(コブクロ、サザン、アリスなど)
⑥尊敬する人:幼稚園時代の恩師
⑦有名人3人を夕食に招待するなら:レナード・バーンスタイン(指揮者)、若田光一(宇宙飛行士)、タモリ
⑧趣味:合唱、旅行、歩くこと
⑨将来の夢:1年の1/3は日本、1/3はバンコク、1/3はシドニーでそれぞれ生活すること
⑩カラオケの十八番:「浪漫飛行」(米米クラブ)
 「28年間の会社人生の中での最大の出来事は1985年8月の御巣鷹山ジャンボ機事故でした。当時ボーイング747運航乗員部に所属していた入社5年目の私は、事故機を操縦していたパイロットの家族(遺族)とともに、彼らの世話役として着の身着のままで現地に向かいました。あのとき見た光景や経験は、私にとってのJAL社員としての原点です。当時現地で私が書いた記録簿(Running Log)は、今でも羽田の運航本部の倉庫に残っています」
 「趣味の合唱は、大学時代から約30年間継続してきました。日本では東京交響楽団の専属合唱団(東響コーラス)に在籍していました。今までで最も印象に残っているのは、イタリアのヴェローナ音楽祭で、パヴァロッティの独唱でベルディ『レクイエム』を歌ったこと。バンコク駐在時代の02年にはバンコク混声合唱団を創設しました。当面の目標は、今年の12月にシドニー・オペラ・ハウスで『メサイア』を歌うことです」

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