【歴史シリーズ】建国とその周辺


編集員Uが調べる、

オーストラリア歴史シリーズ

来豪したはいいが歴史的なアレコレについて実はあまり知らないというのが私の本音である。そこで、オーストラリア史において特に重要だと思われる要点をザックリまとめてみたい。

第1回 建国とその周辺

オーストラリアの建国前史は先住民アボリジニの歴史、というところまではさすがに私でも知っている。しかし、文献にもよるが、彼らは少なくとも4万年前からこの地に土着し始めており、その後もあらゆる交易を持っていたため、その歴史は分厚く濃密だ。したがって、今回は建国辺りに焦点を絞り紹介したい。

 

植民地化と国家の成立

オーストラリアの建国は1788年1月26日であるが、その年に王が即位したとか憲法が施行されたといった分かりやすい建国とは少し違うようだ。それ以前からヨーロッパの諸国と国交があったが、とりわけ建国にとって重要なのは、1770年にイギリスの探検家キャプテン・クックがシドニーに上陸し、その一帯を「ニュー・サウス・ウェールズ」と名付けて英国王室による領有化宣言をしたこと、ならびにその翌年の1788年1月26日に初代総督であるアーサー・フィリップ率いる船団がシドニー湾に上陸し、ニュー・サウス・ウェールズを囚人流刑のための植民地とすることを決定したことで、これが植民地化の始まりであり、被植民地でありながらもオーストラリアの成立であるとされる。

 

植民地の分離、自治、独立

ここからオーストラリアの植民地時代はしばらく続くが、イギリスの植民地支配を受けながらも政治制度を近代化させていくプロセスを辿ったようだ。1850年に植民地政府法というとても重要な法律が制定され、オーストラリアにあったいくつかの植民地がその植民地ごとに憲法を制定できるようになった。つまり、植民地でありながら各々が自治政府や内閣制度をもつ近代政治システムが整っていった。

さらに時代が進み、20世紀に入るとオセアニアや太平洋圏での覇権争いの必要性、国防上の理由などから次第に各植民地を統合すべしという気運が高まった。同時に、鉄道や輸送のための社会インフラが別々の規格で不都合であるということも相まって、1901年に6植民地がオーストラリア連邦として成立し、英国からの独立を果たした(自治領となった)。

国家の成り立ちという定義自体が幅を持つものであるが、その国体が初めて現れたのは建国記念日で馴染みのある1788年1月26日(フィリップ総督上陸)で、近代的な政治制度の中で自治を開始したのが1850年の植民地政府法以降、そして英国からの独立と連邦政府の成立が1901年と、おおむねオーストラリアの建国史はこの3つのプロセスを辿ったようだ。

(参考 オーストラリアの憲法前史概説/甲斐素直)

 

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