【歴史シリーズ】オーストラリアとイギリス

編集員Uが調べる、

オーストラリア歴史シリーズ

来豪したはいいが歴史的なアレコレについて実はあまり知らないというのが私の本音である。そこで、オーストラリア史において特に重要だと思われる要点をザックリまとめてみたい。

第3回 オーストラリアとイギリス

オーストラリア憲法と英国からの「独立」

現在のオーストラリアは英国から独立したことを意味するのであろうか。英国は連邦成立のかなり以前からオーストラリア各植民地に対して一定程度の自治権や植民地憲法も作らせている。この背景には、植民地への抑圧的な政策が反英感情を高めたという教訓から、植民地社会の成熟に伴い少しずつ自立を認めることが植民地支配の継続のためには得策であるとの認識が一般化していったということがある。

 

オーストラリア憲法と女王

オーストラリアの英国に対する法的従属性は、前置条項または連邦憲法中の女王または総督に関する規定のなかに表現されている。前置条項の前文は、オーストラリアの連邦国家は「連合王国国王のもとに」樹立されると明記している。そのほか、行政権、総督の任免権、総督が裁可した法律に対する拒否権などが法文上は残されている。このように、憲法の法文上、女王はきわめて広範な権限を有し、立法、行政、司法の三権に及んでいる。しかしこれらの規定は、以下の様なプロセスで空文化していく。

 

ウェストミンスター法

連邦憲法制定当時のオーストラリア連邦はあくまでも大英帝国内における自治領であった。領域内の統治権が認められているとはいえ、植民地法効力法はなお効力を有しており、法的な意味では連邦議会と州議会は本国議会に対し従属的な地位にあった。この植民地的従属性に法的な変更を加えたのが、1931年制定のウェストミンスター法であり、英国と各自治領は英連邦内において国王のもとに同等の地位を有し、国内的および対外的ないかなる事項についても従属しないことが確認された。しかし、立法権の一部と憲法の改廃権限を手放していなかった。

 

オーストラリア法

ウェストミンスター法が積み残した課題は、1980年代に入ってその解決への努力が開始される。1986年オーストラリア法では、オーストラリア法は、英国議会が今後制定するいかなる法律も、オーストラリア連邦および連邦内の州そのほかの地域に適用されないと明記し、英国と、オーストラリアの連邦および州との法的紐帯を、憲法の改廃権をも含め、完全に断ち切った。以上のような英国に対する従属からの離脱は、そのまま連邦憲法上の女王の立法拒否権の消滅を意味しており、現在のオーストラリアとイギリスの関係が築かれた。

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