終戦記念日に寄せて 焚火室伝声管

ケアンズ風物記
焚火室伝声管部品。たぶん軍 艦の壁などに取り付けられ、 パイプで焚火室につながって いたものらしい。蓋の丸い 取っ手を引くと、簡単に片側 のみ開き、伝令を送った後、 再び蓋を戻しておけばよい。 海軍士官用短剣と比較すると 大きさが判る

ケアンズ風物記

南緯17度の太陽
其の120 松本主計


終戦記念日に寄せて 焚火室伝声管

 

 

妙な物を見つけた。ネットのオークショ ン。もう数年前になるか。用途不明。ただ し、大東亜戦中に撃沈された旧日本帝国海 軍の軍艦から引き上げられた何かの部品な り、とある。

スキューバで潜れる程度の浅海で眠る軍 艦ならば、ソロモン海域からラバウル湾 内、ニューギニア北部域あたりかナァ、と 見当を付けた。以前は沈船へのダイビング は自由だった。ダイバーたちはさまざまな 物を豪州内に持ち込んで来た。鉄製の物は 錆で朽ちているので、真鍮製の物を狙って いたらしい。ネットの部品も恐らくその当 時に持ち込まれた物に違いない。現在では 沈船から一切の物を持ち出すことを禁止し ているけれど、時既に遅し、という感じは まぬがれない。

私は豪州でもう40年以上、空手を指導 して生きてきた。成功というにはほど遠 い、空手をしてきただけの単純明快な人生 であったけれど、人を利用せず、人にへつ らわず、自分の好きな道を全うして生きて こられたことは、私なりに思い残すことは ない。

豪州に住み着いた最初の10年は、如何 にこの国に溶け込めるのか、を考えた。そ してそのように努力した。武道師範という ものは、ただ単に技術の伝達だけでは駄目 だ。武道自体人生に掛ける一生の道である が故に、生徒たちには私ができる範囲での 人生の師とも、また友ともなってやらねば ならないのだ。子どもたちには将来しっか りとした人間に育つよう、その基盤となる しつけも当然してやらねばならぬ。大人に も子どもに対しても、武道師範はその指導 に大きな責任があるということだ。

当然、生徒たちとは日本人も含めて深く 交わることになる。さまざまな国の人種と 交わることで、自然にあることに気が付 いた。それは日本人ほど自国の歴史を知ら ず、文化を尊重せず、自国にプライドを持 てず、中には自国の国旗さえも毛嫌いする 風潮のある民族は、世界のどこを捜しても いないという事実だ。

外地に住むということは、1歩置いて自 国を見つめるチャンスがあるということで もある。日本民族が日本を失くした根源が、判決を懐に入れた屈辱的東京裁判と その後7年間に及ぶ占領軍による日本的文 化、精神性を一切否定する厳しい言論統制 に由来する、という事実に少しずつ気が付 いた。日本人が自覚のない内に少しずつ、 愛国心を否定したリベラル平和主義教育 が、教育界の主流になりつつある。

私は日本が大好きだ。日本人であること を誇りに思って毎日を生きている。世界で 一番長い歴史を有する皇室の存在、武士道 を根幹とした倫理観、感受性豊な国民性。 私が豪州に定住して45年。一番良かった ことは、空手という好きな道だけで生きて 来られた、だけではない。自分で自国の歴 史を模索し、ただ単にマスコミや学校で一 方的に押し付けられた知識のみならず、自 分なりに事実を知る努力をしたこと。そし て私は、現代の日本人が失いつつある日本 人になることができた。いや、まだまだ日 本人になりつつある、と言った方がイイか ナァ。

外地で誰にも頼らず、自分の力で生きて いる。ヘタクソ英語でも何とか意思の伝達 もできる。俺は国際人の仲間入りをしたン だゼ、と一時的にも考えていた若い時代が 恥ずかしい。国際人としての第1の条件。 それは日本人としてのアイデンティティー をしっかりと確立させることだ。

 

1941年12月8日。日本は一方的に真珠 湾を奇襲、大東亜戦争の口火を切った。悪 いのは軍国主義国家、日本、という歴史的 事実を現代でもそのまま信じている人たち が多い。日本が一方的に奇襲するはずがな い。必ず起因があるはずなのだ、となぜ考 えないのだろうか。

起因は日清日露、第1次大戦まで遡る。 戦勝国であった日本は、国際合法的に中国 の一部に権利を取得し、法の下、最小限度 の軍隊を駐屯させていた。日本の国威が上 昇するのが面白くない連中がいた。南下し たがるソ連、アジアに主権を得たい米、既 に植民地を有する英、仏、蘭。サテどう やって日本を追っ払うゾエ。簡単だゼ。日 本と中国をケンカさせればよかろう。

そう考えたのはソ連だろう。ソ連のコ ミンテルンは中国共産党を背後から指導していたから。昭和12年7月の夜。北京郊 外の盧溝橋で夜間演習中の日本軍に発砲 した者がいる。同夜、橋を隔てた中国国 民党軍にも発砲。これは中国共産党員が 仕掛けた罠であったことが、後世の史実 研究で明らかにされている。これに乗っ た中国側が口火を切った。事態の拡大を 望まなかった日本政府は、いきり立つ軍 部をなだめている間に、あの残虐極まる 通州と上海における数百人に及ぶ日本人 市民虐殺事件と上海日本軍への攻撃開 始。これでついに内地から日本も出兵、8 年間に及ぶ支那事変への勃発となった。 ソ連は、してやったり、と思ったろう。 それにしてもなぜ8年にも及んだのか。

装備の貧弱な中国国民党に、背後から武 器食糧、資金援助をしたのが、日本を追い 出したかった米を中心に英仏蘭。だからこ の戦争はドロ沼になった。この時点でもう 大東亜戦争の口火を切る要因はそろってい たと言えよう。米英たちが日本包囲網を形 成する重要地点が南印。日本はそれを見抜 いて事前にそこに進駐する。これに米がカ チンと来て、日本への石油禁輸という姑息 な手を打ってくる。

日本は北印にも進駐。ここは米英たち の中国への武器輸送路。支那事変の早期 解決を目論んで、武器供給を遮断する手 に出たのだ。米がまた怒った。黄色人種 にナメられた。今度は日本への鉄鋼原料 の全面禁輸を断行。今の日本でも世界か ら鉄鋼と石油を禁輸されたら、日本は生 き残れない。死活問題だったのだ。この 時点で米は事実上参戦し、大東亜戦争の 遠因は、米の中国への一方的肩入れに あったことが証明される。

余談だが、当時の近衛首相の側近の1 人、尾崎秀実。日本政府の目を北のソ連に 向けさせないよう、動いていた。戦後ソ連 のスパイだったことが判明している。また 米大統領の補佐官で中国支援の助言をして いた、ラフリン・カリー。これもソ連のス パイで、その後、コロンビアに亡命。

大東亜戦の直接の原因は、米のハル国務 長官が日本に付きつけた日米間基礎概略を 示す有名なハル・ノート。これを知らない 人はまず日本人じゃないナ、と私は思う。

起草者はハリー・ホワイト財務次官。石 油と鉄鋼を止められた日本に対し、その上 ハリーをして日本が絶対に同意するはずが ない、という趣旨の基にハル・ノートを作 成した。

米は待った。日本は必ず撃って出る。ど こに来るか。真珠湾に違いない。ならば空 母4艦は湾外に隠しておけ。演習を装って 択捉島の単冠湾に集結した日本機動部隊の 動向は、逐一ルーズベルトに届いていた。 彼はそれをハワイには知らせなかった。 じゃないと日本の奇襲ではなくなるから だ。恐ろしい男だと思った。戦後ハリーは ソ連のスパイと発覚、自殺している。

結局、大東亜戦で一番漁夫の利を得たの は、スパイ網を張りめぐらし、終戦の2週 間前に日ソ協定を踏みにじって参戦したソ 連。北朝鮮と中国が共産化し、ソ連の存在 感は世界に増大した。ズルイ国だ。米は目 論みが外れ、これがソ連との冷戦への遠因 になる。ことさら日本を戦争に追い込ん だ責任は米にある。それにしても米にとっ て、ソ連をそこまで増大させたのは全くの 誤算であったろう。

 

ネットで見つけた部品、私が落とした。 多分焚火室へ命令を伝達する伝声管の部品 ではないかと考えたが、判明しないまま保 管していた。

戦争末期、日本の軍部の上層部は狂気の ように独走し、無謀な作戦の下、多くの有 意な若者たちを戦場に送り込んだ。軍部が 悪いからと言って、国のため家族のため恋 しい人のために死んだ人たちまで悪く言う 現代の風潮は間違っている。彼らの犠牲の 上に私たちの現在の幸せがある。彼らの遺 品を見つけると放っておけず、少しずつ集 めていたら、もうかなりの数になった。

つい最近、映画を観ていた。男達の大 和。日本の将来のため、死んでいった当時 の若者たちを正面から捕えた清々しい映画 だ。迫真の戦闘場面。アッと思った。銃座 から弾薬室へ命令を伝える伝声管の部品。 同じなのだ。正確な史実考証と若者たちへ の哀悼の意をも感じる監督の演出に感謝。


まつもと・かずえ●
昭和17年2月1日生まれ。東京水産大学増殖学科卒業。1966年木曜島でPearls Pty Ltdに勤務。75年に退社。その後ケアンズに空手道場「Matsumoto Karate Academy」を開く。現在、オーストラリア空手連盟ノース・クイーンズランド代表

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