南緯17度の太陽・最終回 蝉時雨(せみしぐれ)

ケアンズ風物記
Niagara-on-the-Lake村のメイ ン・ストリート。季節の花々 で、道も商店もパブもホテル も埋まってしまっていた。別 にとりたてて、何もない村だ けど、こんな村にポッと出会 うと、何だかホッとする。冬 になると、この花々は1メー トル以上の雪の下だそうた

ケアンズ風物記

南緯17度の太陽
最終回 松本主計


蝉時雨(せみしぐれ)


 
「会社を辞めたいンだけどナァ」。切り出せず、ウジウジと心の中で考えていたことがある。退社するとまず島を出なければならない。その時点では行く当てはなかった。36年前の豪州。何しろ日本人など まず皆無の時代。おまけに私には家族がいる。蓄えがあったわけでもない。退社すると当然のこと、収入が止まる。

 

 家族を食べさせることができるだろうか。会社という温床に残っていた方が無難ではない のか。考えても埒らちの明くことではなかった。時には夜間目が冴えて眠れない時もあった。
 
 エエイ、思い切って話すよりほかに方法があるわけがない。男には一生の中で何度か、自分の人生を左右する機会に巡り会うという。それを取るか否かは本人 の意志による。
 
「辞めてどうするノ」。妻は一瞬ビック リしたように私の顔を見たが、世間話でもしているように問い返した。
 
「島を出て、どこかで空手道場を開きたい」。そしたら何と「イイヨ」。拍子抜 けするようにアッサリとそう言った。そのひと言で私の気持ちが決まった。
 
 この椅子、滅法いいナァ。一見恐竜の卵 のような形をしているけど、ボタンを押す とモギモギと動いてベッドになる。カンタ スで働く娘がいつも気を付けてビジネスを 取ってくれる。ロスまでの14時間、体を休ませることができるのがありがたい。
 
 この2、3年、妙な咳に悩まされてい た。特に夜間。熟睡できないのだ。私は年の割には元気なのだが、眠れないのは体に応える。アチコチの医者に診てもら い、検査もいろいろやったのに、別段悪 い所もなく原因が判からない。専門医と言っても、結構DR.ヤブが多いのだ。
 
 名前は知っていた。大日本武徳会。1895 年に設立された世界でも最古の武道団体。 空手のみならず、あらゆる武道の熟達者が名を連ねている。唯一日本武道の伝統と精神を継承し、和を以って世界の武道家を結 び付けるのを本命としていると聞いた。
 
 その男、気が付くと私の道場の見学席にヒッソリと座っていた。経験者だ。し かも空手に違いない。目付きで判る。その男、私の道場が気に入って、2週間稽古をしていった。彼が私の武徳会との架け橋になった。武徳会国際部アリゾナ州代表、空手六段。
 
 4年前のことだ。私は66歳。彼は私に武徳会への入会を強く勧めてくれたが、 よく考えた末、断った。一匹狼のように 空手をやってきた。今さら組織に入りた いとも思わなかったし、70歳になった ら、ボツボツ引退も考えねば、という思 いもあったからだ。その話は以来、立ち消えになってしまっていた。
 
 ところが、今年の初頭。カナダに来ないか。彼から招待メールが入った。咳からの寝不足で体は少し弱っていたものの、道場での稽古は続けていたし、動きにはまだ自信があった。2011年の武徳会の世界大会は、カナダのキングストンか。行くとなると異なった組織の下、武徳会の基準に基づいてセミナーに参加 し、段審査も受け直さなければならぬ。 初参加のメンバーは初心に戻る、という意味で、皆白帯を締める。私は今年の末 にもう70に手が届く。その年になっても まだチャレンジできるということは、幸せということではないのか。
 
 9年半働いた会社を思い切って退社し、 豪州最北端の町、木曜島からケアンズに下りて来たのが1975年の12月。道場はケアンズの外れに小さな倉庫を借り、改造 して翌年の1月にスタートした。木曜島で も空手クラブを組織し指導していたが、 金を取らなかった。その分ビシビシと私 の好きなように指導した。金を取るとな ると勝手が違う。
 
 日本人の師範、というので爆発的に集 まった入門希望者も、厳しく指導する と、数カ月も経たない内に、いなくなっ てしまった。指導方針を確立するのに2 年以上かかったろうか。その内ボツボツと良い生徒が残るようになった。そして金のなかった私のため、彼らが金を出し合って株主となり、土地を購入して道場を建ててくれたのだ。
 
 1982年の6月、新道場完成。道場を開 いてわずか6年半で、我々のみの道場が建ったのだ。夢かと思った。
 
 この時から90年代にかけて、私1人ではさばき切れないほどの人数が毎日道場にやって来るようになった。妻も入り口のカウンターを手伝うようになり、47歳から稽古を開始。よく頑張って60歳になっ た時、初段を取った。妻は今でも私とと もに道場に来て、子どものクラスを手伝っている。2人の年齢の合計140歳。ま だ現役だ。たぶん夫婦で指導している、豪州では最年長の道場だと思う。
 
 木曜島の南洋真珠養殖会社を退社して 今年で36年目。まだ空手をやっている。 チマチマと真面目に空手を続けただけの 成功というにはおこがましいほどの人生だったけれど、好きなことを続けて何とか食えた、単純明快な道を歩んでこられたことは、何ともラッキーだった。
 
 キングストンはトロントから車で3時間。オンタリオ湖畔の静かな町だった。カ ナダを中心に日本、米国、英国、仏などからやって来た世界の会員たちの宿舎は、海 のように見える湖のすぐ近くにあった。
 
 夜8時を過ぎてもまだ明るかった。湖ま で散歩がてら下りて行くと、アチコチの広場で各国の代表たちが演武の稽古をし ている。本当に運良く、私の咳はカナダに来て以来止まっていた。体の調子が毎日良くなってくるのが感じられる。私も 薄暗くなるのを待って湖に行った。
 
 湖畔の芝生の上で素足になり、毎夜1人で稽古した。体が軽くなるのが感じられ る。ヨシ、これでヤレる。自信とともに 気持ちが落ち着いてきた。
 
 すべての行事を終えた最終日は希望者だ けのナイアガラ見学。キングストンからバ スで4時間の距離。日本勢は全員80名近くが参加。ナイアガラの滝はあまりにも有名なので期待していたのだが、エジプトのピラミッドと同じく、有名であるが故に俗化 が激しく、町中もきらびやかな観光一辺倒で見物する気がしなくなった。
 
 ワイン造りの小さな村、Niagara-on-the- Lake。その村の名前をフトその夜泊まっ たナイアガラの町の宿で聞いた時、その名前の響きから、アー、そこに行こう、 と唐突に思った。武徳祭の終了後、数日の余裕を取っておいたのだ。全く何の計画もしていなかった。
 
 翌朝メンバーの一行は、トロント空港に 向けナイアガラを出て行った。宿の前で手 を振って一行を見送ると、ポツンと妻と2人になった。Niagara-on-the-Lakeはタク シーで40分。ほかに行く方法がなかった。
 
 その村には何もなかった。タクシーもバスもない。ワイナリーを巡るツアーに入る か、自転車をハイヤーするか、さもなくば歩いて動ける範囲に限られていた。しかし 何と美しい清々しい村なのか。メイン・ス トリートも個人の商店も色取りどりの季節 の花々に埋められていた。どの花壇を見て も枯れ葉1つなく、リンと咲いていること から、その村の人々の花造りに対する思い とプライドが伝わってくる。
 
 メイン・ストリートの一隅に宿をとっ た。昼食はパブで取ったが、油っこいも のに飽きていた。スーパーへ行き、ツマミ類と果物を買った。きれいなチェリー やイチゴ。果物が何とも安いのだ。ワイ ンも欠かせない。
 
 宿のすぐ前はリスの遊ぶ公園になって いた。夕食は公園で食べよう。7時過ぎ の公園はまだ明るいのに、もう人気がなくなっていた。ベンチに座ってツマミを 広げ、ワインの栓を開けた。武徳祭ではセミナーと私の演武の結果から、武徳会七段教士を認可され、国際部の豪州コーディネーターに任命された。何やら急に 肩が重くなったような気がしたものだ。 心身ともに心地良い疲れがあった。
 
 妻は私が70歳で引退するのを楽しみに していた様子だったのに、カナダに来たためにとてもじゃないが引退などできなくなった。のみならず、さらに稽古に励 まなければならない。道場も続けなければならない。私の余生が見え、そう努力するべく心を決めたことが、私の心を和 ませていた。妻はそんな私の気持ちを感 じていてか、何も言わなかった。折から微かな蝉の声が聞こえたと思ったら、まるで5月の日照雨にも似たけむったような蝉時雨が降ってきた。日暮れに鳴く蝉なのだ。妻はリスと遊んでいた。その背中を目で追って、ワインを飲んだ。
 
 私のエッセイは今回が最終回になります。25 年間続けたことでいろいろな勉強になりました。いつも私のわがままを聞いてもらった編集長の原田君、ありがとう。私の駄文を読んでく ださっていたごく少数の読者に感謝します。ご意見を聞かせてください。
 
Email: info@matsumotokarate.com


まつもと・かずえ
●昭和17年2月1日生まれ。東京水産大学増殖学科卒業。1966年木曜島でPearls Pty Ltdに勤務。75年に退社。その後ケアンズに空手道場「Matsumoto Karate Academy」を開く。 現在、オーストラリア空手連盟ノース・クイーンズランド代表

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