オーストラリアで今を生きる人 れんさん

オーストラリアでを生きる人

オーストラリアの日系コミュニティーで今を生きる、さまざまな人のライフスタイルを追うコラム。

れんさん

書を磨くことは、自分を磨くこと

野外で大きな筆を全身で操る書道のパフォーマンス、見上げるような巨大作品の展示など、オーストラリアに書の新境地を切り開いた。近年はハリウッド映画のセットに文字を書いたり、無料通信アプリ「LINE」(ライン)でオリジナル・スタンプを発表したりと、活動の領域をさらに広げている。(聞き手:守屋太郎)

 

——書道との出合いについて教えてください。

生まれ育ったのは、瀬戸内海に面した福岡県東部の豊前市。魚のうまい、海辺の町です。実家の裏に神社があって、書道教室が開かれていました。それで書道に興味を持つようになり、小学2年生の時、自分も習いたいと親に頼んだのが始まりです。それからずっと続けています。

高校の「選択芸術教科」でも、書道の成績は抜群に良かったんです。将来は何より書をやりたいという強い気持ちがありました。高校卒業後は、親が薦めた福岡教育大学書道科ではなく、書道専攻で全国トップの東京学芸大学・特別教科教員養成課程(書道)に進学しました。そこで素晴らしい先生方の教えを受け、同世代の書家の卵たちと切磋琢磨したことは貴重な体験になりました。東京ではいつも多くの書道展が開催されていて、良いものを見る目を養うこともできました。

大学卒業後は、大手予備校の美術研究所に勤務しながら、多摩美術大学二部のデジタル・グラフィック・デザイン科に通いました。それまでに身に付けた書道だけではなく、美大で配色や平面構成の基礎を学んだことが、後の作品に生かされていると思います。

 

——なぜオーストラリアへ?

日本の書道界は流派色が強く、自分の活動に限界を感じていました。そんな時、たまたま友人が住んでいたシドニーに遊びに行ったのです。日本から持ってきた作品をオーストラリア人に見せると反応が良かったので、「書道で生活していけるもしれない」と夢を見たんですね。学生ビザを取得して再びオーストラリアにやって来ました。

ところが、彼らが良いと思った作品に対して、こちらが期待するだけの対価を支払うかというと、決してそうではありません。学校に通う傍ら、個展を開いて創作活動は続けましたが、帰国子女向けの受験塾で国語と小論文の講師を務めたり、日本語補習校で子どもに教えたりしてなんとか生活費を稼ぎ、食べていくのに精一杯という状況でしたね。幸い、日本で高校国語1級、高校書道1級、中学国語(書写含む)1級の3つ教員免許を取得していましたので、それらが海外で生きていく糧になりました。

 

——その後、書家として永住権を取得します。

2003年に芸術家として「特殊スキル枠」でオーストラリアの永住権を申請し、4週間後にあっさりとビザが下りました。オーストラリア政府公認のアーティストとしてお墨付きをもらえたので、僕自身の信用も高まり、さまざまな方面から仕事のお誘いを受けるようになりました。

最初のターニング・ポイントになったのは、シドニーのNSW州総督邸(ガバメント・ハウス)で開かれた作品展「アート・オブ・フラワーズ」に参加させてもらったことです。ここでは、四季の俳句と短歌をそれぞれ4本の大きな掛け軸(縦約3メートル)にして出品しました。また、NSW州立美術館では、書道パフォーマンスをさせてもらいました。当時はまだパフォーマンス用の大きな筆を持っていなくて、幅の広い刷毛で書きました。たいへん緊張しましたが、気持よく書くことができました。

10年には、「ふるさと」という作品が日本の外務本省に認められ、日本の国有財産としてキャンベラの在オーストラリア日本国大使館に収蔵されました。これによって、日豪の2カ国でアーティストとして認められたのは、たいへん光栄なことだと思っています。

 

——特に印象に残っている創作活動について教えてください。

最も感慨深かったのは、東日本大震災翌日の11年3月12日にNSW州ダボ市(岐阜県美濃加茂市の姉妹都市)の逍遥園(しょうようえん)という日本庭園で開かれたイベントです。その日はたまたま僕の誕生日だったのですが、とにかく震災の衝撃と心配で頭の中がいっぱいで、朝からシドニー空港に向かう直前までインターネットのニュース映像にかじりついていました。イベントのデモンストレーションでは当初「歓迎 逍遥園」と書く予定でしたが、ダボ市にお願いして「被災のお見舞を申し上げます 早期の復興を祈ります」という言葉に変えさせてもらいました。作品はその後、ダボ市から美濃加茂市に寄贈され、市役所ホールに展示されました。

また、キャンベラで開かれている「キャンベラ・奈良キャンドル・フェスティバル」(姉妹都市の奈良市との友好イベント)には、在オーストラリア日本国大使館からお招きいただき、08年以来毎年参加させていただいています。「平城遷都1300年祭」に合わせた10年のイベントでは、パフォーマンスの2画目にいきなり大筆の先が飛んで行ってしまいました。拾って続けましたが、冷や汗をかきました(笑)。

 

——大きな筆を使って身体全体で表現するライブ・パフォーマンスが真骨頂です。

以前は、そうしたデモンストレーションは下品な印象がして嫌いだったんです。「墨がもったいない」(笑)という思いもありましたし。ところが、写真家の小川裕司さん(日本郵船豪州物流現地法人社長として以前シドニーに赴任)に背中を押されて、やってみるようになりました。舞台で大きな筆を持って書いていると、「何かやってるぞ」と反応が大きかったんです。今では、さまざまなイベントに「ライブ・パフォーマンスをやってくれ」と呼ばれることが多くなりました。

 


このほど、LINEで販売を開始したオリジナル・キャラクター「楽くん」のスタンプの1つ

——最近の活動について教えてください。書道の伝承にも力を注いでいますね。

日本を舞台にしたハリウッド映画「ウルヴァリン:SAMURAI」(13年公開)の制作に書家として参加し、セットの看板や建物の筆文字を手がけました。つい最近は、LINEで「楽」という字をモチーフにした「楽くん」というオリジナル・キャラクターを作り、スタンプの販売を開始しました。LINEを利用している人は、ぜひ使ってみてください。英語版のスタンプも現在審査中です。ここ2年、チャッツウッド(シドニー北部)のコンコースに新設されたアート・スペースで個展を開いています。今年も同じ場所で11月に開催する予定です。

チャッツウッドでは月曜日から土曜日まで書道教室を開いています。子どもから大人まで、毛筆もペン字も基礎から教えています。自分の字に自信のない人や、字が上手になりたい人でも、コツをつかんで、長く続けることで、徐々に上達していきます。何事も一足飛びには上達しないので、ある程度の根気は必要です。文字の奥深さを知ることは、日本文化の奥深さを知ることにもつながると思います。日本人は言霊(ことだま=言葉に呪力が宿るという概念)を信じ、思いを込めて文字を書きました。パソコンの時代だからこそ、手書きの文字の良さを味わってほしいと思います。

昨年、チャッツウッド(シドニー北部)の個展に出品した「日本全国酒飲み音頭」。縦2.5メートル、横4.4メートルという巨大な一発書きの作品。日の丸をモチーフにして、墨の濃さを3段階にして立体感を表現した

オーストラリア人に書道を指導するれんさん

また、教室では、落款印をゴム印で作るワークショップや、写経ができる時間も設けています(要予約)。バルメイン(シドニー市内西部)の日本旅館「豪寿庵」でも月に1回、書道とゴム印のワークショップを開いています。

 

——書道のほかに打ち込んでいることは?

週に最低3回、多い時は6回ほど、近所のジムで「ボディ・コンバット」のクラスに通っています。もう17、18年は続けているでしょうか。ボディ・コンバットは、空手やボクシング、テコンドー、タイのキック・ボクシングなどの格闘技をベースにした、ニュージーランド発祥のフィットネスです。音楽に合わせて60分間、キックやパンチを繰り出すので結構いい運動になりますよ。ライブ・パフォーマンスで全身を使って大きな字を書くには、実はたいへんな集中力と体力が必要なんです。パフォーマンスでしなやかに身体を動かせるのは、ボディ・コンバットで鍛えてきたおかげでしょうね。

 

——オーストラリアでの創作活動を振り返って思うことは?

何かに縛られることを極端に嫌う僕にとっては、流派に束縛されずに思ったことを表現できる環境に身を置くことは必要で、重要なことだと思っています。

また、オーストラリアには日本人の書家は僕しかいないので、この分野の日本代表として責任を持ち、質の高い仕事をしていきたいと考えています。

書は、やり直しの利かない、一瞬一瞬の積み重ねによって生まれる芸術です。そこには書いている人のすべてが映し出されます。ですから、書を磨くことは、自分を磨くことだといえるでしょう。

今後は自分がやってきたことを下の世代に伝えたいですね。パフォーマンスをしたいという若い人がいれば、基礎から指導して応援していきたいと思います。

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