オーストラリアで今を生きる人 平野由起子さん

オーストラリアでを生きる人

オーストラリアの日系コミュニティーで今を生きる、さまざまな人のライフスタイルを追うコラム。

平野由起子さん

人に与えることよりも与えられるものの方が大きい

英国でアロマセラピストの国家資格を取得し、ホスピスで緩和ケアに従事した。家族でシドニーに移り住んだ後も、福祉の仕事に携わってきた。東日本大震災後は、被災した子どもを毎年シドニーに招待し、異文化体験を通して希望を与える「保養プログラム」に力を注いでいる。(聞き手:守屋太郎)

 

——学生時代から海外に興味があったのですか?

愛知県豊橋市で生まれ育ちました。スポーツが得意で、高校時代は柔道に打ち込み、県大会で優勝したんですよ。就職に有利という単純な理由で立教女学院短大の英語科に進学しました。スキー部に入り、テニスも楽しむ普通の女子大生でした。
 海外に関心を持ったのは、友達と初めての海外旅行でハワイに行ったのがきっかけです。英語科なのに英語は全く通じなかったのですが、海外の開放的な雰囲気が気に入ったんです。
 卒業後は地元の会社に勤めながら、週末はアルバイトでスキー・ツアーの添乗員をしました。3年働いた会社を辞めた時は、ひと冬、山にこもって、現地でツアーを迎える仕事をしてスキーを思いっきり楽しみました。

 

——英国で生活することになったきっかけは?

その後、ワーキング・ホリデー(WH)で1年間、シドニーで暮らしました。海外に一生住むつもりは全くなくて、「世界を見てみたい」と思っただけでした。仕事はツアー・ガイドをしていました。その時、同じくWHで滞在していた英国人の今の夫と知り合ったのです。
 WHが終わった後、英国まで彼に付いていく気はありませんでした。一緒に地元に戻り、彼は英語教師をしていました。ビザが切れて英国に帰国することになり、最終的には私も英国に行き結婚することになりました。
 スキーの添乗員やシドニーでのツアー・ガイドの経験を生かして、ANA(全日本空輸)の旅行部門のロンドン支店で仕事をしました。新しいオフィスでのゼロからのスタートで大きな仕事に携われたので、とてもやりがいがあって楽しかったです。長女が生まれるまで4年間、そこで仕事しました。
 育児と両立できないと思って復職は諦め、アロマセラピストの英国国家資格の学校に通いました。自然志向が強かったので軽い気持ちで始めたのですが、勉強はとても大変でした。資格を取得した後、世界最古の「セント・トリニティー・ホスピス」で研修を受け、人生の残りが少ない患者さんの痛みを和らげるための緩和ケアに携わりました。

 

——移住先のシドニーでも福祉関係の仕事に携わります。

自然に恵まれた場所に住みたかったんです。英国の充実した福祉の現場を見て感銘を受けましたが、大都会のロンドンはあまり好きではありませんでした。以前は仕事が楽しくて気にならなかったのですが、子どもができてからだんだん息苦しく感じてきたのです。公園に子どもを連れていっても天気が悪いことが多いし、ビーチに行っても寒いし。
 英国では13年間生活しました。日本の地元に帰ろうと思ったんですが、言葉が話せない夫には日本で生活する選択肢はありませんでした。そこで、2人が出会ったシドニーなら知っている土地だし環境も素晴らしいということで、家族で移り住むことになったんです。
 2004年にシドニーに引っ越した後、会社を立ち上げて日本からの福祉研修ツアーの現地手配を手がけました。世界最先端と言われる、タスマニアのアルツハイマー患者のための施設「アダーズ」や、高度エイジド・ケア施設などの見学や研修ツアーを催行しました。07年にはオーストラリア政府公認の児童保育施設「ファミリー・デイ・ケア」も自宅で始めました。

子どもに人生のイノベーションを与えたい

——震災後は被災した子どもたちをオーストラリアに呼び、心のケアに取り組んでいます。

まず始めたのが「折り鶴募金」です。「赤い羽根募金」にヒントを得て、寄付してくれた人の気持ちに折り鶴でお返しをしたいと思いました。フェイスブックで提案したところ賛同者が集まり、震災直後の3月26日にマンリー(シドニー北部)でイベントを開きました。約500人もの人がボランティアで協力してくれ、地元のニュースにも取り上げられるなど大きな反響がありました。
 そのころ、英国で暮らしていた時に発生したチェルノブイリの話を思い出しました。被災した子どもたちがイタリアやドイツに保養に出かけたのですが、旅行後に血中のストレス・レベルが下がるなど身体と心に大きな効果が認められたんです。
 それで東北で被災した子どもたちをシドニーに呼ぶ「レインボー・プロジェクト」を企画しました。11年の夏休みから毎年、10〜17歳の子ども10人を呼んで、10日間、現地家庭でのホームステイ、学生との交流、企業の見学、異文化交流などを体験してもらっています。13年からはシドニー日本クラブ(JCS)の傘下で活動しています。
 震災で苦しい思いをしてすさんでいた子どもがシドニーに来ると、全く違う世界を見て明るくなります。「辛かったけどオーストラリアに来て良かった」、「困難を乗り越えることができた」、「オーストラリアに留学したい」といった声をもらいました。

15年8月、5回目となった「レインボー・プロジェクト」に参加した子どもたち。NSW州多文化相より、州議事堂内の特別見学とランチに招待された
15年8月、5回目となった「レインボー・プロジェクト」に参加した子どもたち。NSW州多文化相より、州議事堂内の特別見学とランチに招待された
ウイロビー市主催の先住民アボリジニの伝統儀式も体験
ウイロビー市主催の先住民アボリジニの伝統儀式も体験
11年3月26日、マンリーで行われた折り鶴募金のイベントで踊りを披露するソーラン隊の皆さん。寄付への感謝の気持ちとして手前の折り鶴が配られた
11年3月26日、マンリーで行われた折り鶴募金のイベントで踊りを披露するソーラン隊の皆さん。寄付への感謝の気持ちとして手前の折り鶴が配られた

 

プログラムの資金は、寄付のほかに、折り鶴募金、チャリティー・コンサート、サッカー観戦、フリー・マーケットでの中古品の販売などのイベントで集めています。毎年3月11日には、マンリーで東北の復興を祈るイベントを開催しています。義援金を集めたり、チャリティーの屋台を出店したり、被災地からゲストを呼んで講演してもらったりしています。来年は5年目で、節目の年なので大規模なイベントにしたいと思っています。
 震災から4年半の歳月が経っても、遠く離れた南半球のオーストラリアから、大臣や市長、行政、組合などまだまだたくさんの人たちが日本を応援してくれています。そのことをもっと日本に発信していきたいですね。

 

——このほどJCSの副会長にも就任しましたね。ボランティア活動に打ち込む原動力はどこから来ているのでしょうか?

茶道とお茶菓子作りのほかに特に趣味はなくて、女子会でおしゃべりして時間を過ごしているよりも、何か目的に向かってミーティングをしている方が楽しいんです。自分でプロジェクトを企画して、成果が得られた時の喜びの方が、大変さに勝っています。ボランティアをしていると、良い仲間が集まってきてくれます。そうした出会いも、普通の主婦をしていたら得ることのできなかった人生の宝物です。自分が人に与えてあげられるものよりも、人が自分に与えてくれるものの方がずっと大きいのです。
 もうすぐ高校を卒業する長女が、「スクーリーズ」(注:オーストラリアの高校生の卒業旅行。リゾート地などで大騒ぎする習慣がある)に「福島にボランティアに行きたい」って言うんです。気付かない間に子どもも親を見守ってくれたのでしょうか。嬉しかったですね。

 

——これからのライフワークについて教えてください。

子どもや若い人たちに人生のイノベーション(革新)を与えられるような活動をしていきたいと思います。レインボー・プロジェクトに参加して、出倉秀男さん(注:シドニー在住の料理研究家)に出会った子どもがいます。この子は、海外で日本文化を広めているる出倉さんの活動に感銘を受けて、オーストラリアで日本食レストランを開業するという目標を持つようになりました。今は夢の実現に向けて、調理師免許の取得を目指してがんばっています。
 今の日本にはどうしても自分を悲観してしまう部分もあると思うのですが、この子は海外に出たことで日本人としての誇りを取り戻したんです。わずか10日間の滞在ですが、そこから子どもが吸収する力、純粋さ、困難を乗り超えるバネの力には関心させられます。
 日本は70年前の戦争から立ち直り、経済大国として復興しました。転げ落ちたところから這い上がるには強いバネが必要でしたが、立ち上がった時には前よりも高い所までたどり着いたのです。そのようにして東北の子どもたちも立ち直れるよう、応援していきたいと思います。

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