オーストラリアで今を生きる人 吉田謙一さん

オーストラリアでを生きる人

オーストラリアの日系コミュニティーで今を生きる、さまざまな人のライフスタイルを追うコラム。

吉田謙一さん

日の丸を背負って歩いてきた
空手を通して日豪の架け橋に

オーストラリア人女性と恋に落ち、32年前に来豪した。苦難と挫折の日々を経て、日本古来の武道である空手の一派「国際空手道連盟・極真会館豪州支部」(会長:ジョン・テイラー範士)の門を叩いた。以来30年近くにわたり、日本の「文武両道」の精神をオーストラリアに伝えている。(聞き手:守屋太郎)

 

——空手を始めたきっかけは?

東京の下町、北千住で生まれ育ちました。幼い時から、弱いのに強く見せたがる「きかん坊」でした。将来、海外に住むことになるなんて夢にも思っていませんでした。

高校時代は、スズキのナナハン(排気量750ccの大型バイク)を改造して、爆音を轟かせながら仲間と夜の街を走り、ケンカに明け暮れる毎日でした。空手を始めたのも、ただ「ケンカに強くなりたい」という不純な動機だったんです。俳優のブルース・リーや映画『ロッキー』の影響もありましたね。17歳の時、近所にあった「剛柔流空手」という流派の道場に入門しました。

本当は弱いくせに、強がっている自分の劣等感を克服したかったんでしょうね。ところが、空手を習って心身を鍛え直すと、ケンカに強くなりたくて始めたはずなのに、自分の心の中に自然と余裕が生まれてきたんです。タバコも不良もやめて、毎朝早く起きてランニングし、ジムでトレーニングに勤しみました。サーフィンにものめり込んでいきました。

 

——なぜオーストラリアへ?

社会に出てからは、外資系の商社に勤めていました。そこで、イベントのモデルとして働いていたオーストラリア人女性と仲良くなったんです。日本で付き合い始めたのですが、彼女はオーストラリアに帰国することになり、僕は「英語もできないし海外には住めない」ということで、いったん離ればなれになりました。

でも、彼女がいなくなると急に寂しくなってしまって。1983年9月に彼女を追いかけてシドニーまでやって来ました。翌84年には結婚してオーストラリアに移り住むことになり、一人娘も生まれました。

しかし、慣れない海外生活は苦労の連続でした。日本で会社勤めしていた時は責任あるポジションで仕事を任されていたのに、オーストラリアでは日本語しか話せないので仕事は日本食レストランのアルバイトしかありませんでした。それでも仕事場では年下のワーキング・ホリデーの子に英語が下手だといって馬鹿にされたこともあります。日本では相当な腕前だと思っていたサーフィンも、オーストラリアではその辺の子どもの方が上手くて、ショックを受けました。自分に対する自信を完全に失ってしまいました。「海外では何の力もない人間なんだ。俺は何のためにオーストラリアに来たんだろう?」と悩み、まだ1歳の娘を残して妻とも別れました。

それから3年間、日本語はほとんど話さず英語ばかりの環境に身を置きました。まずは自立するためのスキルを身に着け、自尊心を取り戻すことに力を注ぎました。やがて大手日系企業に就職し、マネージャーとして55歳まで20年以上勤めました。

 

——ブランクを経てまた空手にのめり込んでいったのはなぜですか?

空手と再会したのは、来豪5年目の88年のことでした。たまたま中華料理店で現地の新聞を読んでいたら、ボンダイ道場の記事が目に入ったんです。それで試しに道場をのぞいてみたのがきっかけです。以前やっていた剛柔流では黒帯を持っていましたが、流派の違う極真では道場生として一から入門しました。鈍っていた肉体の改造に取り組んで稽古に励み、昇段していきました。

極真空手は「フルコンタクト」と呼ばれる、相手に直接打撃を与える真剣勝負です。最初はボコボコに叩きのめされました。骨折も何回も経験しましたし、眼に蹴りの直撃を受けて瞼を失う大怪我をしたこともあります。でも、肉体を改造し、技を習得して強くなると、仕事やプライベートで嫌なことがあっても心が折れなくなりました。空手は次第に人生の大きな部分を占める存在になってきました。

入門以来30年近く、これまで何百人もの生徒を指導してきました。現在では、極真会館豪州支部の師範としてボンダイ・ジャンクション(シドニー東部)で土曜日午後、「ノース・ショア支部長」としてクロウズ・ネスト(同北部)で月曜日・水曜日の夜、それぞれ指導しています。

来年で還暦を迎えますが、自宅の前のボンダイ・ビーチ(シドニー)での毎朝45分のランニング、水泳、週2〜3回のウェート・トレーニング、週3回の空手の指導を欠かすことはありません。鍛錬は苦しく、痛みも伴います。しかし、オーストラリア人の生徒が俺を通して日本に興味を持ち、4年に一度の世界大会に一緒に行ったり、俺を心から信頼して人生相談してくれるのが、かけがえのない喜びですね。

シドニーのボンダイ・ジャンクションにある道場で生徒たちと
シドニーのボンダイ・ジャンクションにある道場で生徒たちと

 

——吉田さんにとって空手とは?

背中に日の丸を背負って歩いてきた。そういう自負はあります。これからも日々肉体を鍛え、身体も内面も強くありたいと思っています。極真会館の道場訓の1つに「吾々は、心身を練磨し、確固不抜の心技を極めること」というものがあります。人間の身体と心の強さは表裏一体なんだという考え方です。相手の痛みを知ることによって、人間本来の優しさを知ることができるんです。武道を通して、強さを通して、礼節を教えていきたいと思います。

空手を通して、オーストラリアと日本の架け橋になって、青少年を育成し、両国の草の根交流の拡大に貢献できればと思っています。さらに、オーストラリアは移民国家ですから、道場にはオーストラリア人や日本人だけではなくてレバノン人、インド人、中国人など世界中の人がいます。さまざまな国の仲間と殴り合い、蹴り合い、飯を食い、酒を飲むことによって、国籍や宗教を超えた信頼関係を構築していきたいですね。

 

——最後にオーストラリアで頑張っている日本人の若者に一言アドバイスをお願いします。

ワーキング・ホリデーや留学生の若い人たちは、勤めていた会社を辞めたり、付き合っていた人と別れたりして、人生に何らかの区切りを付けてオーストラリアに来ているんだと思います。来豪を人生の転機ととらえて、例えば英語を話せるようになりたいとか、国際的なビジネス感覚を身に着けたい、といった目標を持って来ている人は多いでしょう。ところが、途中で目標から離れていってしまう人は少なくありません。オーストラリアに来た時の志を捨てないで、果敢にチャレンジしてほしいですね。

娘さんとの2ショット。弁護士になって余裕ができたのか「甘えてこなくなったのが寂しい」という
娘さんとの2ショット。弁護士になって余裕ができたのか「甘えてこなくなったのが寂しい」という

来年60歳とは思えない強靭な肉体と、ボンダイ・ビーチでの毎朝の鍛錬がにじみ出る真っ黒な肌が印象的だ。厳つい風貌とは対照的に、語り口は温厚で優しい。多くの生徒から信頼を集めているだけではなく、ビジネスマン時代からの人脈は幅広く、人望も厚い。さらなる修練に勤しむ吉田さんの活躍に、これからも期待したい。

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