オーストラリアで今を生きる人 vol.2

オーストラリアでを生きる人

オーストラリアの日系コミュニティーで今を生きる、さまざまな人のライフスタイルを追うコラム。

林由紀夫さん

刑法の日豪比較を

ライフワークにしたい

1979年にオーストラリア初の日本人弁護士となり、日豪関係の発展を支えてきた。今年で還暦とは思えない、ボクシングで鍛えたがっちりした体躯が印象的だ。オーストラリアでの半生と今後の目標について聞いた。(聞き手:守屋太郎)

 

——高校を卒業後、単身で来豪したのが72年。当時のオーストラリアは日本人の在住者や観光客、日系企業も今のように多くありませんでした。なぜ日本人にとって馴染みの薄かったオーストラリアを目指したのですか?

末っ子の3男だったので「変わったことをさせたい」という親の方針で、小学1年から高校3年まで英語のミッション・スクール「聖ジョセフ・カレッジ」(横浜市)に通っていました。当時の生徒は米軍関係者や華僑など外国人の子息が多く、私のように両親ともに日本人という生徒は30〜35人の1クラスに3人くらいしかいませんでした。授業はすべて英語で行われますし、英語文化の中で教育を受けますので、卒業後に海外に行くことについては特に違和感はありませんでした。卒業生は上智大や国際キリスト教大(ICU)に入学したり、海外に留学したりする人が多かったですね。私はアメリカやイギリスではなく、「新しい大陸」であるオーストラリアに魅力を感じたんです。

 

——シドニーのニューサウスウェールズ大学法学部に進みました。なぜ弁護士に?

オーストラリアに来てから出会った日本人の商社マンや銀行マンに「これから日本とオーストラリアの経済関係は発展する。お前は日本語も英語もできるんだから弁護士になればいい」とアドバイスされたのがきっかけです。ところが、入学してみると勉強は非常にハードで、苦難の日々が待ち受けていました。ミッション・スクールに通っていたおかげで普通の日本人よりも英語力があったとはいえ、育ったのは普通の日本人の家庭でしたから完全なバイリンガルというわけではありませんでした。そうした語学力のハンデに加えて、とにかく1年生から莫大な量の判例や本を読まされ、少人数のクラスでとことんディスカッションもします。当初は何が何だか全く分からず、いつ落第してもおかしくありませんでした。本当に苦労しましたよ。ようやく内容を把握できるようになるまでに2年かかりました。

刑事事件は真実を追求するから面白い

——苦労が実を結んで弁護士資格を取得。日本人としてはオーストラリア初の弁護士が誕生しました。

つくづく思うのは、人生は努力も大切だがツキも大事だということです。当時のオーストラリアには、英連邦出身者以外は弁護士資格を取得できないという決まりがありましたが、私が卒業する前にその規定が撤廃されたんです。永住権に関しても、政府の方針が急に変わって、留学生は卒業後に2年間、本国に帰国しなければ取得できないことになりましたが、私は規定変更前に申請を済ませていたのですぐに取得できたんです。就職活動も運が良かった。オーストラリアで日本が注目されていた時期でしたので、大手の法律事務所にすんなり雇ってもらうことができました。それから80年代後半のバブル期にかけて、日本企業のオーストラリアへの投資や進出が急増しましたから、企業関係の法務やファイナンス(融資)などの仕事を主に手がけました。

 


大手法律事務所に務めていた20年前

——その後、バブル期にシドニーやゴールドコーストの不動産を買い漁っていた日本企業の多くが、多額の損失を抱えてオーストラリアから撤退していきます。まさにバブルの天国と地獄を目の前で見てきたわけですね。

日本のバブルが崩壊し、次第に大手の事務所にいることが窮屈と感じるようになったこともあって、96年に自分の事務所を立ち上げました。それ以来、18年間やってきたわけですが、9月1日から長年私の事務所で頑張ってきたケン・ホン弁護士をパートナーとして迎え入れ、新たに「林由紀夫ケン・ホン法律事務所」としてスタートしています。ケンはソウル出身の韓国人で、韓豪弁護士協会(KALA)の代表を務めるなど在豪韓国人社会の若いリーダーです。現在、当法律事務所は、私とケンを含む6人の弁護士が企業法務から不動産、ビザ、刑事事件を含む訴訟全般まで幅広い分野を扱っています。

 

——様々な案件を扱っている中で、やりがいを感じるのはどんな仕事ですか?

ビジネス関連では、新しい価値を生み出すことに喜びを感じます。例えば、最近ではQLD州のある不動産プロジェクトをお手伝いしました。行政を動かして農業用地を20倍の価値のある住宅開発可能用地にすることができたのは、大きな達成感がありました。

でも、報酬は民事の10分の1くらいで全くお金にはなりませんが、仕事として一番面白いのは刑事事件ですよ。民事訴訟はお金がすべてで世知辛い。端的に言えば、どうやって相手から多く金を取るかの駆け引きです。ところが、刑事事件は真実の追求であり、容疑者の人権確保が目的なんです。真実を追求する仕事だからこそ、やりがいがあるんです。

毎年、今年が一番良かったと思える人生を


今では母になった幼少時代の娘さんとの2ショット

——仕事を離れて、アフター5や週末に打ち込んでいることは?

身体を動かすことが大好きです。今ハマっているのはボクシングのトレーニングです。ゴルフ(ハンデ16)も今が人生で一番面白い。ボールが狙った通り飛んでいった時の充実感、達成感は何事にも代え難い喜びですね。

 

——これからの人生の目標は?

18歳で来豪して42年経ちました。今後はできるだけケンに仕事を任せて、私は歳を取りすぎないうちにもっと勉強したいんです。法律というのは知れば知るほど奥が深い。私がやりたいのは、日本とオーストラリアの刑法の比較です。例えば、今日本の法曹界で話題になっている被疑者の取り調べをめぐる可視化の問題などです。日本ではいったん検察が起訴すればほとんど有罪になります。それは異常なことです。そのあたりの比較研究を大学院でしたいと思っています。

ライフスタイルとしては、日本とオーストラリアを行き来するような生活が理想的ですね。毎日終電で帰宅するのが当たり前の社会ですから日本を拠点に仕事をするのはヘビーですが、出張や休暇で行くには最高の国です。海外から見ると、日本人の民度やモラルの高さも世界一だと思います。

 

——オーストラリアで頑張っている若者にひと言。

振り返ってみると、重要な局面でいつも運やタイミングに助けられてきました。日ごろからいい行いをしていると、神様は見ていてくれているのかな(笑)。これまで生きてきた60年間、「昔が良かった」と後悔したことは一度もありません。毎年、「去年よりも今年が良かった」と思っています。そう思えるような人生を送ってもらえれば、幸せなのではないでしょうか。

聞き手からひと言

以前、日本人絡みのある殺人事件の公判で会い、気骨のある人柄が印象に残っていた。今回、「お金にならない刑事事件にやりがいを感じる」と聞いて納得した。60歳になって、学問の道に戻りたいという林さんの次なるステップに期待したい。

プロフィル◎はやし ゆきお
弁護士・移民書士

横浜市出身。1972年来豪。78年ニューサウスウェールズ大学法学部卒(法学士、法理学士)。79年弁護士資格取得。同年ベーカー&マッケンジー法律事務所入所。80年フリーヒル・ホリングデール&ページ法律事務所入所。84年パートナーに昇格。オーストラリアでの日系企業の事業活動に関し、商法の分野での様々なアドバイスを手がける。オーストラリア国内と日本でセミナーや講演を行うほか、連邦政府の対日投資・貿易促進代表団の一員として日豪経済関係の発展に貢献。96年「林由紀夫法律事務所」(2014年9月より「林由紀夫ケン・ホン法律事務所」)開設

■Hayashi & Hong Lawyers
住所:Level 10, 82 Elizabeth St., Sydney NSW 2000
Tel: (02)9233-1411
Web: www.hhlaw.com.au

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