スミス下院議長

 

政界こぼれ話人物編 その178

スミス下院議長


自由党のトニー・スミス下院議長は、1967年3月13日にメルボルンで誕生(48歳)。父親は教師で母親は秘書であった。メルボルン大学に進学し、ここで人文学士(優等)と商学士の学位を取得。スミスが政治に目覚めたのは大学に在学中のことで、88年には同大学自由党クラブの会長に就任するとともに、自由党にも入党している。また翌89年にはVIC州自由党学生協会の会長にも就任した。学生時代には、連邦保健大臣の要職にあった自由党のウールドリッジの事務所に、調査補助員としてアルバイトもしている。大学卒業後は1年ほど、保守系のシンク・タンクとして有名な、公共問題研究所に研究助手として勤務。

スミスにとって人生の転機となったのは、90年に政界入りを果たしたコステロの、メディア担当顧問となったことであった。96年にハワード保守連合政権が誕生し、コステロが財務大臣に就任して以降も同ポストを保持し、98年にはコステロ・オフィスの上席政治顧問に昇格している。当時のスミスは口の堅さで有名で、政治記者たちに対して頻繁に、「これはオフレコだけどノー・コメント」とコメントしていたという。

政界入りは2001年選挙の時で、VIC郊外のキャシー連邦下院選挙区から出馬して初当選。07年1月に実施された内閣改造では首相担当政務次官に抜擢され、フロント・ベンチ入りを果たした。07年11月に保守連合が下野した後は、影の教育や影の財務副大臣を務め、そして09年12月のアボット新党首による影の組閣で影の通信大臣に昇格している。ただ、その後影の政務次官に降格され、しかも13年9月のアボット第1次政権の組閣では、陣笠議員に降格されている。

このように、ここ何年かは不遇を囲ってきたスミスだが、昨年にスミスの評価を大きく高める一件があった。それは、選挙問題合同常任委員会がまとめた上院選挙制度の改革提言報告書であった。同報告書は内外から高く評価されたのだが、それも委員長であったスミスの手腕の高さのお陰であったとして、野党労働党側からも賞賛の声が上がったのである。こういった評価を受けて、ビショップ下院議長を選出する連邦自由党議員総会での選挙に出馬したスミスは、圧倒的な票を獲得して第30代の下院議長に就任し、現在に至っている。

思想、信条は、長年にわたりコステロの側近であったことからもうかがえるように、自由党のドライ派に分類でき、要するに経済合理主義者、市場原理の信奉者、しかも強硬な信奉者である。人柄だが、人の良さそうな風貌で、実際にその通りではあるものの、同時に権謀術数、カーテンの背後での活動にも長けていると言われる。趣味は、一時は歴史の教師になるのが夢であったほどの歴史好きで、また家庭の台所での料理もリラックスの手段となっている。ほかには車いじりなどが挙げられる。スミスは熱狂的なカールトン・チームのファンである。

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