ブラフ特別国務大臣

政界こぼれ話人物編 その182

ブラフ特別国務大臣


自由党のマル・ブラフ特別国務大臣兼国防調達・科学相は、1961年12月29日にQLDの州都ブリスベンで誕生している(54歳)。ブラフが4歳の時に父親が病死しブラフは母子家庭で育った。高校を卒業後、豪州陸軍に入隊。8年にわたって軍務に就いたが、除隊した時の階級は大尉であった。除隊後は、通信企業のマネージャーや零細ビジネスの経営に携わっていたが、コミュニティー活動や政治活動を通じてブラフは、当時野党保守連合のリーダーであったハワードに見出されている。

ハワードの勧めもあって、QLDのロングマン連邦下院選挙区の予備選挙(注:党の公認候補を決める党内選挙)に出馬して勝利。そしてハワード保守連合政権が誕生した96年選挙でブラフも勝利し、政界入りを果たした。その後、98年、01年、04年と連続当選を果たし、00年2月には政務次官としてフロント・ベンチャー入りし、その1年後には雇用サービス相として見事初入閣を果たしている。複数の閣外ポストを経て、06年1月の改造では閣内の家族・コミュニティー相兼先住民相に昇格している。

閣僚としての最大の実績とされるのが、ブラフが先住民相時代に策定し、実施した、過去数10年の先住民史の中でも画期的とされた先住民政策であった。その主要目的は、北部準州(NT)先住民社会のアルコールおよびドラッグ問題、それを主因とする暴力や児童への性的虐待を防止するため、連邦政府がNT在住先住民に関する所管をNT政府から奪取し、先住民コミュニティーに厳重な規制措置を課すというものであった。そのような画期的政策が施行できたのも、担当大臣に熱血漢で硬派タイプのブラフが就任したことが大きかったと言える。なお、ブラフにはごくわずかながら先住民の血が流れているとされる。

ところがブラフは、ラッド労働党政権が誕生した07年選挙では落選の憂き目を見ている。捲土重来を期していたブラフだが、10年選挙では党の公認が得られず、結局、13年の前回選挙でQLDのフィッシャー選挙区から出馬し、見事政界への返り咲きを果たしている。そしてターンブル首相誕生後に実施された15年9月の組閣で、ブラフは閣外ながら閣僚にも復帰し、現在に至っている。附言すれば、もともとブラフはアボット前首相と親密であったが、自由党の党首交代劇ではターンブルの中核支持者として活躍している。

思想的には、ターンブルと違って、またアボットとは同じく、自由党の右派に分類できる。人柄だが、上述したように熱血漢で知られるが、これがしばしば激しい言葉尻や攻撃的な態度ともなり、周囲から反発を買うこともある。しかしながら、一見すると「強面」であるものの、ブラフは慈愛に満ち、また社会奉仕の精神に富んだ人物である。妻は美容師であったスーで、子どもが3人と孫が2人いる。なお、ブラフは現在スキャンダルの渦中にあり、その行方が注目されている。

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