ヘンディー補佐大臣

政界こぼれ話人物編 その187

ヘンディー補佐大臣


与党自由党のピーター・ヘンディー官房長官補佐大臣(注:かつての政務次官)兼予算相補佐相は、1962年1月10日にQLDの州都ブリスベンで誕生している(54歳)。大学はQLD大学経済学部で、ヘンディーは同学部を最優等で卒業している。卒業後は連邦財務省に幹部候補生として入省。

その後、NSW州政府のポストなどを経て、96年3月に誕生したハワード保守連合政権の閣僚のチーフ・オブ・スタッフとなっている。

仕えた閣僚とは、当時コステロ財務相のライバルとして、将来の自由党党首の有力候補の1人と目されていたリースであった。ちなみにリースは労使相に続いて国防相を務めたが、労使相時代にハワード政権の画期的な「96年職場関係法」を施行している。ただ、残念ながら「大物ボス」のリースは、身内が絡むスキャンダルで01年に政界から引退している。

ヘンディーもいったんは政界から離れ、02年に3大経営者圧力団体の1つである豪州商工会議所(ACCI)のCEOとなっている。同ポストには5年半程とどまったが、閣僚スタッフやCEO時代のビジネス界への貢献が認められ、ヘンディーは建国100周年記念メダルを受章している。

08年2月には、ネルソン野党自由党党首のチーフ・オブ・スタッフとして政界に復帰したものの、ネルソンが失脚した後は、コンサルタントとしてビジネス界に戻り、一時は中東で仕事をしていた。

連邦下院議員となったのは13年9月の前回選挙である。選挙区はNSWの激戦区の1つであるイーデン‐モナロであるが、同選挙区は72年の選挙以降では、同選挙区を制した政党が常に全体選挙でも勝利しているという、象徴的、あるいは「リトマス試験紙」的な選挙区である。

1年生議員に過ぎないヘンディーだが、昨年9月の自由党の政変劇では大いに注目された。というのも、ヘンディーはターンブル擁立の中心人物の1人で、党首挑戦直前の「作戦会議」もヘンディーの自宅で開かれたからだ。

元々実力者ということに加えて、その論功行賞ということもあり、ヘンディーはターンブル第1次組閣で生産性問題担当補佐相として早々とフロント・ベンチ入りを果たし、そして今年2月の改造では官房と予算の補佐相となり、現在に至っている。エコノミストのヘンディーは(注:仕事をしながら博士号も取得)強硬な経済合理主義者で、とりわけ労使問題と税制問題に通暁している。

人柄だが、裏方の閣僚スタッフとして活躍してきただけに、政治家としてはかなり地味で、押し出しが立派というわけでも決してない。だが政策通であることに加え、極めて権謀術数に長けた実力者である。近い将来に閣僚となるのは間違いあるまい。家族は妻のブロンウィンと1男1女である。

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る