マーク・レイサム元労働党党首

政界こぼれ話人物編 その216

マーク・レイサム元労働党党首
Mark Latham

ハワード第3次保守連合政権時代に野党リーダーを務めたマーク・レイサム元労働党党首は、1961年2月28日に、NSW州のシドニーで誕生している(57歳)。郵便局員であった父親は、働き盛りの時に突然病死。そのため母親が学校の清掃員をして、レイサムと3人の妹を育て上げた。生まれ育ったのは西シドニーのかなり荒(すさ)んだ地域であったが、レイサムは幼少時より優秀で、バーテンダーのアルバイトをしつつ通ったシドニー大学経済学部も優等で卒業している。

その後、NSW州労働党の党組織や政治家のスタッフなどを経て、30歳の時にはリバプール市の市長に就任した。連邦政界入りは94年の下院補欠選挙の時で、その後も96年、98年、2001年、04年選挙と連続当選を果たしている。03年7月の影の内閣改造では、重要な影の財務大臣に大抜擢された。そして同年12月に実施された労働党連邦議員総会「コーカス」での党首選挙に出馬し、僅差ながら党首経験者のビーズリーを破り、新党首に選出されている。

ただ、その直後から数々の舌禍(ぜっか)事件やスキャンダルによって評価を下げ、04年10月の連邦選挙ではハワード保守連合に敗北を喫し、結局、翌05年1月には党首を辞任して、連邦政界からも引退している。

思想、信条だが、労働党時代には右派に所属。経済政策分野では、自由党のドライ派と同様の経済合理主義者であった。その一方で、ひと昔前の左翼のように資本家対労働者といった、アナクロで単純な階級闘争的メンタリティーも強く保持していた。

人柄だが、レイサムのあだ名は「気違い野郎」(Maddy)というものであった。確かに、レイサムが性格的な問題を抱えていたことは否定できない。ただ、レイサムの特徴は高い政策立案能力、理解力を持っていたこと、すなわち素行や見掛けによらず、極めて高い知性を備えていた点であった。

政界引退後は、政治評論家として活躍してきたが、そのレイサムは最近になって大いに注目を浴びている。理由は、レイサムがハンソン率いる極右政党のワン・ネーション党に加入し、そして来年3月に実施されるNSW州上院半数改選選挙に、同党のNSW州リーダーとして出馬することを明らかにしたためであった。豪州最古の名門大政党である労働党の連邦党首を務め、換言すれば、一時期ハワードに代わる連邦首相の「最右翼候補」であった人物による「徒花(あだばな)」政党への加入だけに、この政治事件は、やはり政界に大きなショックを与えるものであった。

ただし、「レイサム事件」を、ゴシップ的な観点からのみ捉えるのは誤りである。と言うのも、レイサムが同州の上院議員に当選するのはほぼ確実で、しかも同州下院で2大政党のどちらが政権党になるにせよ、レイサムは他の泡沫政党議員と共に、NSW州上院、ひいては最大州である同州の政局において、一定の影響力を獲得する公算が大であるからだ。

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