アルバニーゼ野党党首

政界こぼれ話人物編 その223

アルバニーゼ野党党首
Anthony Albanese

野党労働党の新党首となったアンソニー・アルバニーゼ連邦下院議員は、1963年3月2日にシドニーで誕生している(56歳)。母子家庭の上に母親は病弱で、住居は低所得層の住む公営住宅と、アルバニーゼは相当な貧困生活を経験した。カトリック系高校を卒業後はコモンウェルス銀行に就職したものの、数年後に辞めて、シドニー大学経済学部に入学。労働党には既に10代の時に入党しており、学生時代も大学自治会活動を熱心に行った。85年にはNSW州労働党青年部議長と同時に、労働党連邦閣僚の調査スタッフに就任し、更に89年にはNSW州労働党副書記長、95年にはカーNSW州首相の顧問に就任している。

連邦政界入りは96年の選挙で、移民や労働者が多く住むシドニー郊外のグレインドラー選挙区から初出馬し、当選を果たしている。初当選した時には、アルバニーゼが連邦下院議員の中では最年少であった。2001年11月の選挙後以降には、影の老齢者担当相、影の雇用サービス相や影の環境相を歴任している。そして07年にラッド労働党政権が誕生すると閣内大臣となり、長らく運輸やインフラ担当相を務めたが、13年の7月からは、ラッド首相の片腕の副党首(兼副首相)の要職にもあった。

13年9月選挙で労働党が下野した直後には、ショーテンと党首選挙を戦ったが惜敗。ただショーテンの影の内閣でも、引き続きインフラの所掌(しょしょう)を担当した。そして今年5月の連邦選挙で、野党労働党がまさかの敗北を喫すると、「異議なし」で労働党の新党首に選出され、現在に至っている。

思想的には労働党の左派、それもNSW州強硬左派グループに属し、それどころか、若くして同州左派の領袖となっている。強硬左派ということもあって、人権や環境問題には強い関心を寄せてきた。ただし、最近ではさすがに強硬さは格段に薄れつつある。実際にアルバニーゼは、右派のショーテンによって「左旋回」され過ぎた労働党の路線を、左派の自分が「中道」寄りへと戻す、云々と主張している。

人柄だが、労働党内でも強力な、しかも右派と左派との抗争も激越(げきえつ)なNSW州の党組織で鍛えられただけあって、童顔に似合わず精神的には極めてタフで、フィクサー的な能力も兼ね備えた人物である。ただ自分の生い立ちもあって、社会的弱者には常に暖かな目を注いでいる。またユーモアのセンスや一種の「カリスマ性」もあるため、アルバニーゼのファンは多い。

家族は、妻・カメル・テバットと1人息子のネイソンである。このテバットは何年も前に政界から引退したものの、かつてNSW州労働党政権の教育相や同州副首相を務め、一時は同州労働党のリーダー候補とも目されていた大物である。ただオシドリ夫婦で有名であった両者も、今年の1月には別居したことを明らかにしている。

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