コーマン予算大臣

 

政界こぼれ話人物編 その163

コーマン予算大臣

ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本 直樹


自由党のマティアス・コーマン予算大臣は、1970年9月20日にベルギーで誕生している(43歳)。母国語は独語だが、コーマンはほかにも英語、仏語、フランダーズ語を話す。父親は旋盤工であったが、体を壊し、そしてアルコール中毒となり、一時期家族は身障者手当てや教会からの援助で暮らしていた。そのためコーマンは少年時代から、妹たちの世話や家事全般をこなしていたという。地元の大学で法学を学ぶとともに、1年間の交換留学生として英国に留学。この時期に英語を本格的に学習している。

若いころから政治に関心を抱いていたが、学生時代にベルリンの壁が崩壊するのを現地で目撃し、その経験が、コーマンの信条、思想に大きな影響を与えたという。21歳の時にはキリスト教系の政党に入党し、2年間にわたって、欧州議会の議員のスタッフを務めている。さて、コーマンと豪州との関係が芽生えたのは94年のことであった。この年に私用でWA州のパースを訪れたのだが、コーマンは一遍にパースの虜となっている。ベルギーに帰国したものの、パースの魅力には抗し難く、結局、コーマンは96年に正式に豪州へと移民。憧れのパースに住み着いたものの、当初は職探しに苦労する状況であったという。

ただ、ベルギーで議員スタッフを務めたことが幸いして、自由党のコートWA州首相や、連邦閣僚となったエリソン上院議員のスタッフとして採用されている。またコーマンは民間医療保険大手HBFの管理職となるなど、実業界での経験もある。WA州自由党員としても活躍し、自由党同州支部上席副議長を務めた。連邦政界入りは07年の6月で、WA州選出の環境相であった、キャンベル上院議員が突然政界から引退したため、その後任として上院議員に就任している。野党時代には、影の政務次官を経て、09年12月より影の閣僚入りを果たした。そして13年9月のアボット第1次保守連合政権の組閣では、影の閣外の財務補佐相兼影の金融サービス・年金相から、閣内の予算相に大抜擢され、現在に至っている。

思想、信条だが、コーマンは教会に通う敬虔なカトリック教徒で、そのため強硬な社会的保守である。一方、経済分野では、自由競争原理を信奉する経済合理主義者である。要するに、典型的な自由党の右派に分類される。また克己心の強いことで有名である。余談だが、経済政策分野での政府の中核プレイヤー3人、すなわちアボット首相、ホッキー財務相、そしてコーマンの3人は、全員が自由党ではマイノリティーのカトリック教徒である。趣味の1つはオージー・ルール・フットボール(AFL)の観戦で、ひいきのチームは地元のウェスト・コースト・イーグルズである。移民はしたものの、依然としてベルギーへの愛国心は強く、ビールもベルギー産のものを愛飲する。辣腕の弁護士である細君のヘイリーとの間に幼い娘がいる。

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