スチュアート・ロバート国防補佐大臣

政界こぼれ話人物編 その158

スチュアート・ロバート国防補佐大臣


自由党のスチュアート・ロバート国防補佐大臣は、1970年12月11日にVIC州のクランバーンで誕生している(43歳)。ただ、育ったのはQLD州のバンダバークで、当時両親は同地で砂糖きびの栽培農業を営んでいた。両親ともに極めて勤勉で、必ずしも裕福ではなかったものの、ロバートを含む3人の子どもたちの教育にも熱心であった。ロバートもQLD州の名門私立高校である、ロックハンプトン・グラマー高校を卒業している。

奨学金を得て、キャンベラにある防衛大学(ADFA)に入学。同大学を優等で卒業したが、秀逸であった学士論文は、結局、同大学より正式に出版されている。学士論文のテーマは、戦前に俘ふりょ虜情報局長を務め、東京裁判の被告となった田村浩中将に関するものであった。ADFA卒業後は(注:ちなみにADFAの学生は、一般課目の教育を担当するNSW大学より学士号を授与される)、陸軍将校として軍に勤務したが、その間にロバートは、経営学修士号ばかりか情報技術修士号をも取得している。

陸軍大尉であった28歳の時に除隊。友人とIT関連のベンチャー・ビジネスを立ち上げたが、同ビジネスは一時大きな成功を収めた。

連邦政界入りは、ハワード長期保守連合政権に終止符が打たれ、ラッド労働党政権が誕生した2007年11月の選挙である。自由党の閣僚経験者であったジャルの後任として、QLD州のファデン下院選挙区から出馬し、見事初当選を果たした。

09年12月には、野党保守連合の代表(自由党党首)がターンブル(現通信大臣)からアボット(現首相)に交代したが、その直後に実施された影の組閣で、ロバートは(影の)閣僚の登竜門とされる、影の政務次官に任命されている。担当は、ロバートの得意な国防問題であった。また、10年8月選挙後のアボットの影の組閣では、影の閣外の国防・科学・技術・人員大臣に抜擢されている。そして、今年9月の選挙後のアボット第1次保守連合政権の組閣で、閣外の国防補佐大臣に就任し、現在に至っている。

思想、信条だが、ロバートは自由党の右派に所属する。すなわち、経済分野では市場競争原理を重視する経済合理主義者で、また社会政策分野では相当な保守派である。例えば同性愛の問題については、同性間婚姻の法的認知には反対であるし、また女性兵士を前線に配備することにも反対するなど、かなり保守的な考えを抱いている。一方、敬虔なキリスト教徒ということもあって、ロバートは慈愛や社会奉仕の精神に溢れており、例えば、アフリカの孤児の救済活動などにも深く関与してきた。また明朗で庶民的な人物でもあり、地元での人気は高い。

細君のシャンテルとの間に3人の息子がいる。

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