ブリッグス大臣

 

政界こぼれ話人物編 その165

ブリッグス大臣


自由党のジェイミー・ブリッグス・インフラストラクチャー・地方開発補佐大臣は、1977年6月9日にVIC州で誕生している(37歳)。カトリック教徒の父親は、コモンウェルス銀行に勤務していた。ブリッグスもカトリック系の学校に通ったが、クリケットやゴルフなど、スポーツマンとして鳴らした。一時はアデレードで、クリケットの豪州代表選手を目指して本格的なトレーニングを積んだほどである。ただ流石に自身の限界を感じ、クリケットで生きる夢は諦めている。

ブリッグスはSA大学で経営学を学んだものの、大学は中退している。22歳のころに、SA州の経営者団体で働きはじめ、労使問題を担当。当時から政治に関心のあったブリッグスは、SA州自由党にも入党し、その後、SA州保守政権で財務大臣の要職にあったルーカス(注:母親は日本人である)のスタッフに就任している。SA保守政権が下野したことに伴い、ブリッグスは連邦政治へと関心を変え、当時ハワード保守政権で労使大臣を務めていた、アンドリューズの顧問となっている。さらに、ハワード首相の労使問題担当顧問となった後、20代後半という異例の若さで、ハワードの上席顧問に昇格している。

連邦政治家の顧問時代のブリッグスは、労使分野のエキスパートとして高い評価を受け、ハワード政権の労使政策「ワークチョイス」の策定にも深く関与した。ちなみにブリッグスは、今でもハワードを尊敬し、慕っている。連邦政界入りは08年9月で、同月にSA州マヨ連邦下院選挙区で実施された補欠選挙に出馬し、見事初当選を収めている。政界から引退したマヨの議員は、外相の最長在任記録を持つ自由党のダウナーであった。次の10年8月の選挙でも当選したブリッグスは、12年9月に家族支援問題担当の影の政務次官となり、そして13年9月にスタートしたアボット第1次保守連合政権では、閣外のインフラ・地方開発相として初入閣を果たし、現在に至っている。合計で30人いる閣僚の中ではブリッグスが最年少である。

思想、信条だが、経済分野では典型的な自由党のドライ派、すなわち経済合理主義者である。一方、敬虔なカトリックの家庭で育ったものの、社会政策分野ではかなり進歩的で、例えばブリッグスは同性愛者間の婚姻を支持している。人柄だが、親密なホッキー財務相などは(注:野党時代にブリッグスとホッキー、そしてネルソン野党リーダーは、キャンベラ滞在中のハウス・メイトであった)、ブリッグスを極めて頼りになる、信頼の置ける人物とべた褒めしている。一方で、若輩に過ぎないブリッグスの昇進振りも手伝ってか、ブリッグスを権謀術数に長けた、油断のならない人物と形容する向きもある。趣味はスポーツとスポーツ観戦、そして読書などである。細君のエステとの間に2男1女がいる。未だに30代の後半に過ぎないブリッグスは、自由党の将来を担う政治家の1人と言えよう。

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る