リー影の大臣

 

政界こぼれ話人物編 その167

リー影の大臣


労働党のアンドリュー・リー影の財務副大臣兼競争促進大臣は、1972年8月3日にシドニーで誕生している(42歳)。学者であった両親の仕事の関係で、リーはマレーシアやインドネシアで幼少時代を過ごしている。高校は、NSW州全体でも「ダントツ」のトップ進学校である、政府選抜校のジェームス・ルース農業高校である。大学はシドニー大学で、同大学より最優等で法学と人文学の学士号を取得。さらにその後、米国ハーバード大学ケネディ・スクールより修士号と博士号を取得したという、華麗なる学歴を誇る。職歴も同様で、大学卒業後は大手法律事務所に事務弁護士としてしばらく勤務した後、優秀な法学部卒業生の憧れの職、栄誉ある職である、最高裁判所判事の助手となっている。ちなみに、当時リーの「ボス」であった判事とは、左派系最高裁判事の代表格と目され、尊敬を集めていたカービーであった。そのままいけば、リーは法曹界でも大成功を収めたであろう。

だがリーはキャリア・チェンジを図り、ハーバード大学では公共政策や経済学を学び、結局、その後若くして、豪州国立大学の経済学の教授となっている。経済学へのキャリア・チェンジの動機の1つとなったのは、リーが少年時代から、社会的弱者の救済や貧困の解消といった問題に強い関心を抱いてきたからであった。リーは少壮の経済学者に贈られる賞を受賞するなど、経済分野でも早々と頭角を現している。いうまでもなく、これまでに数多くの論文、新聞や雑誌の論説、書籍を公表、出版している。

ところがリーは、再度大きなキャリア・チェンジを図っている。すなわち、10年10月の連邦選挙にAC Tの選挙区から出馬し、労働党の連邦下院議員となったことだ。そして13年3月のギラード労働党政府の改造では、閣僚への登竜門とされる政務次官として、フロント・ベンチ入りを果たした(注:ただ、同年6月にラッドが首相に返り咲くと、ギラードの支持派であったリーは政務次官を更迭された)。同年9月には労働党が下野し、10月にはショーテンが野党労働党の党首に選出されたが、その直後の影の組閣人事で、リーは影の閣僚に選出され、現在に至っている。

リーの思想、信条だが、まず「派閥政治」の労働党にあって、リーは中道左派/独立派という、小規模で拘束力の弱い派に属している。経済分野では合理主義者ではあるものの、社会政策分野に強い関心を抱くリーは、決してコチコチの市場原理主義者ではない。人柄だが、社会的弱者には常に温かな目を注いできた人物である。これは社会奉仕の精神にあふれた、両親ばかりか、祖母や祖父の影響と言えよう。いずれにせよリーは、将来の労働党を背負う若手の逸材である。趣味はスポーツ観戦で、キャンベラのラグビーやバスケット・ボールのプロ・チームの熱心なファンである。造園家である細君のグウェネスとの間に3人の息子がいる。

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