【新連載】マーベラス・メルボルン「栄華の夜明け」

MARVELLOUS MELBOURNE マーベラス・メルボルン

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第1回 栄華の夜明け

フリンダース船長に由来するフリンダース通り駅。市内中心部に位置し、右側はフリンダース通り
フリンダース船長に由来するフリンダース通り駅。市内中心部に位置し、右側はフリンダース通り

第1回は、メルボルンに移民が始まるかなり前、3人の船長によるメルボルンの調査の話だ。メルボルンは、1835年にタスマニア島からの移民によって成立したが、その35年ほど前に英国の船長たちによってメルボルンの調査が行われた。

メルボルン湾は、正確にはポート・フィリップ湾と言うが、ここではメルボルン湾と呼ぶ。メルボルン湾を最初に発見したのは、レディー・ネルソン号のジョン・マレー船長であり、1802年2月15日にメルボルン湾に入っている。マレー船長は、約1カ月間にわたってメルボルン湾に留まって調査を行っている。

フリンダース船長像
フリンダース船長像

マレー船長の10週間後には、マシュー・フリンダース船長がインベスティゲーター号でメルボルン湾に入ってきている。実際のところフリンダース船長は、メルボルンやビクトリア州にとっては大きな功績を残していない。しかし、オーストラリアにとっては、極めて大きな功績を残したのだった。

ビクトリア州とタスマニア州の間には海峡があり、タスマニアが島であることを発見。船医の名前をとってバス海峡と名付けた。また、フリンダース船長は初めてオーストラリア大陸を一周し、オーストラリアが大陸であることを確認した。「新オランダ」などと呼ばれていた新大陸を、「オーストラリア(Australia)及びオーストラリア大陸(Terra Australis)」と初めて記録した。市内中央部にあるセントポール大聖堂前にフリンダース船長の銅像が立っている。

さて、初めてメルボルン湾を本格的に調査したのは、ニュー・サウス・ウェールズの植民地測量主任であったチャールズ・グリム船長である。1803年1月にメルボルン湾に入り、2月1日には、メルボルンの海岸線一帯を調査、2月2日にヤラ川の河口を発見している。

当時のヤラ川は、自然のままの小さな川で、周辺は芦などに覆われた湿地帯であった。ヤラ川は汽水で飲めないが、ヤラ川に流れ込む小川(現在のエリザベス・ストリートは小川であった)は淡水であると発見している。2月3日には自らを隊長とする調査隊を編成し、手漕ぎボートでヤラ川をさかのぼり、現在のビクトリア・パーク駅から北東へ500メートルほど行った場所にあるデイツ・フォールズ滝まで到達している。

メルボルン中心部に飲み水が存在していることは、後の移民団に取って最も重要な発見であった……。



文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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