マーベラス・メルボルン「ビクトリア初代総督ラトローブ」

MARVELLOUS MELBOURNE マーベラス・メルボルン

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第4回 ビクトリア初代総督ラトローブ

世界遺産のカールトン・ガーデン
世界遺産のカールトン・ガーデン

メルボルンは、別名をガーデン・シティーと呼ばれるほど公園が多い。公園の多くを作ったのはチャールズ・ラトローブ初代ビクトリア植民地総督である。

メルボルンに植民が始まって4年目の1839年10月にラトローブは、ビクトリアに行政責任者である監督官として赴任してきた。当時のメルボルンの人口は3,000人ほどの小さな町であった。ラトローブは役人や行政官、軍人としての経験もない文化人であり、シドニーのNSW植民地政府やロンドンの大英帝国はメルボルンを全く重要視していなかったことが分かる。

州立図書館前のラトローブの銅像
州立図書館前のラトローブの銅像
キングス・ドメインに現存するラトローブのコテージ
キングス・ドメインに現存するラトローブのコテージ
メルボルン市内のラトローブ通り
メルボルン市内のラトローブ通り

ラトローブ最大の功績は、世界遺産カールトン・ガーデン、市内唯一のフラッグスタッフ公園、英国国旗をデザインしたフィッツロイ・ガーデン、F1グランプリが開催されるアルバート・パーク、ボタニック・ガーデン、戦争記念館があるキングス・ドメイン公園などを指定したことである。当時はゴールド・ラッシュの前で、政府として資金もなかったので、公園指定地としたのだが、十分な意味があった。ラトローブは、公園だけでなくメルボルン大学、国立図書館、メルボルン病院などの学術文化医学施設の設立にも多大な貢献をしている。

フランス系英国人で自然や旅が好きなラトローブは、学生時代に山歩きのために訪問したスイスで妻マリーと出会って結婚した。メルボルン中央駅であるフリンダース駅隣のジョリモント駅とジョリモントの街は、2人が新婚旅行に訪問したスイスの町の名前を付けたものである。

ラトローブのもう1つの功績はNSW植民地からのビクトリアの独立に貢献したことである。豪州に派遣される前に訪問した西インド諸島では奴隷制度に強く反対するなど、リベラルなラトローブは、1840年頃から始まったビクトリアの独立運動にも理解を示した。大英帝国の植民地政策を進めた政治家アールグレーに書簡を送るなどの活動により、ラトローブが総督在任中にビクトリア植民地が成立している。なお紅茶好きのアールグレーが作ったブレンドは有名である。英国のメルボルン総理大臣の前任総理でもある。

ラトローブは、ラトローブ大学、ラトローブ通り、ラトローブ・バレーなどに名を残している。またラトローブは、タスマニアの総督も兼任しており、タスマニアにもラトローブ通りなどの名前が残っている。自らが作ったキングス・ドメイン公園の中に、ラトローブ総督の公邸が残されている。公邸は質素な作りで、材料は英国から運ばれてきた。総督と言えども質素な生活であったことが分かる。



文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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