マーベラス・メルボルン「ゴールド・ラッシュ」

MARVELLOUS MELBOURNE マーベラス・メルボルン

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第7回 ゴールド・ラッシュ

ベンディゴの金鉱山。現在は博物館
ベンディゴの金鉱山。現在は博物館

1851年にメルボルンから100キロほど北部のビクトリア内陸部でゴールド・ラッシュが起こった。その場所はバララット、ベンディゴ、キャッスルメインなど、現在ではゴールド・フィールズと呼ばれている各地域である。

原住民族アボリジニーの人びとは金塊を神聖なものとして触らなかったため、ヨーロッパからの移民たちは金塊(Gold Nuggets)が地面に転がっているのを見て非常に驚いた。

特に採掘作業をするまでもなく地表に金塊が露出しており、拾って回るだけで財産が築けたという。そして、このビクトリア植民地で金塊発見のニュースは世界中を駆け巡った。とはいっても電話も電信も無い時代だったので帆船を経由してだが。ちょうどアメリカのカリフォルニアでのゴールド・ラッシュが終了期を迎えていたことから、世界の目がビクトリアに集中したのだった。

ビクトリアの金産出量は長年にわたって世界一を記録し、大半はイギリスへ輸出されイギリスの莫大な赤字は一挙に解消された。最大の年は56年で、95トンもの産出量があった。

世界中から一攫千金を狙ってやってきた荒くれ者の金鉱夫たちは簡単に盗賊団に変身して、輸送中の金塊を奪った。「ブッシュレンジャー」として知られる悪党たちである。後に何度も映画化される義賊ネッド・ケリーも出現した。

その結果、金塊輸送には軍隊による護送が必要な事態になり、英国帝国駐留軍(後のビクトリア植民地軍)が増強され、軍本部もシドニーからメルボルンに移されたのだった。

財務省ビル。地下に金塊を保管した
財務省ビル。地下に金塊を保管した
馬と馬車による輸送ルートがつくられた
馬と馬車による輸送ルートがつくられた

ゴールド・フィールズからメルボルンに持ち込まれた金塊は、植民地政府の財務省ビルの地下倉庫に厳重に保管された。ゴールド・ラッシュによりメルボルンが英国の金塊の供給源として重要になると共に、軍事的にも重要性が増した。

幹線道路が整備されメルボルンから10マイルの場所ごとに馬と人が休める宿場町(10マイル・タウンズ)がつくられ、ビクトリア各地への輸送網が一気に充実した。しかしながら、馬と幌馬車によるもので道路も舗装されたものではない。

10マイル・タウンは、メルトン、バッカス・マーシュ、カイネトン、ギズボンなど多数つくられたが、金塊が川底などで採取できた時代はすぐに終わりを迎えた。

その後は、イギリスから近代的な採掘技術が持ち込まれ後の資源ビジネスへつながったものの、金鉱山における労働環境は劣悪を極め、労働争議も頻発することになる。

また、メルボルン市内中央部にチャイナタウンが形成されたのもこのころのことで、金鉱夫として働く中国人の宿や飲食店、更には金鉱山で使用する用品店として発展を始めた。



文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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