マーベラス・メルボルン「ガーデン・シティー」

MARVELLOUS MELBOURNE マーベラス・メルボルン

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第13回 ガーデン・シティー

ロイヤル・ボタニカル・ガーデンのビジター・センターと天文台
ロイヤル・ボタニカル・ガーデンのビジター・センターと天文台

イギリス人は、科学の真理探究に非常な努力を傾ける傾向があるが、植物の収集もその対象の1つであった。18世紀後半のクック船長は世界航海の際、植物学者を同行させ、シドニーを調査して「ボタニー(植物学)湾」と名付けた。19世紀前半のダーウィンの進化論調査航海でも植物の調査は重要なテーマであった。同じころにオランダ人のシーボルトも日本で植物を収集・調査している。

メルボルンは別名「ガーデン・シティー」と呼ばれるほど公園が多いが、これにはイギリス人の植物調査と深い関係がある。公園用地(リザーブ)を設定したのは、チャールズ・ラトローブ初代ビクトリア植民地総督であるが、実際に造園が開始されたのは、資金的な余裕が出てきたゴールド・ラッシュ後の1850年代後半である。

ビクトリア植民地政府の植物長官には、ドイツ人の植物学者フェルディナンド・ボン・ミューラーが任じられた。ミューラーは、多くのオーストラリアの植物の命名をしたことでも知られる。

ヤラ川のそばのアレクサンドラ公園
ヤラ川のそばのアレクサンドラ公園
全豪オープン・テニスが開かれるメルボルン・パーク
全豪オープン・テニスが開かれるメルボルン・パーク
フィッツロイ・ガーデンのクック船長生家
フィッツロイ・ガーデンのクック船長生家

ミューラーが園長を務めたロイヤル・ボタニカル・ガーデンは、植物学的な視点を持って意図的に植物を集めた学術庭園である。広大なボタニカル・ガーデンには、かつて世界最大規模であった天文台や、中央池などの見所が多い。公園の周囲は「ザ・タン」の愛称を持つジョギング・コースとなっている。また、セント・キルダ植物園もミューラーの作品である。

そして、ロイヤル・ボタニカル・ガーデンを囲むように、1854年に設立されたキングス・ドメイン公園が広がる。キングス・ドメイン公園の中には、シドニー・マイヤー音楽堂、ラトローブ総督の小屋、ビクトリア州総督公邸、戦争慰霊廟(せんそういれいびょう)などがある。

キングス・ドメインに沿ってシティー側には、アレクサンドラ公園、クイーン・ビクトリア公園があり、これらは魅力的な公園としてだけでなく、イベント会場としても知られる。

ヤラ川を渡ると全豪オープン・テニスの会場であるメルボルン・パークとメルボルン・クリケット・グラウンドがあるヤラ・パークへと続く。イギリス国旗をデザインしたフィッツロイ・ガーデンは、ロイヤル・ボタニカル・ガーデンと並んで、1850年代から学術的な公園として整備されている。植物温室園、ビジター・センター、クック船長の自宅(イギリスより移築)、英国エルム樹木通り、チューダー期住宅模型公園、噴水と池などの見所がある。

シティーには世界遺産カールトン・ガーデンとメルボルン博物館、フラッグスタッフ公園がある。シティー南部には毎年、F1グランプリが開催されるアルバート・パークがある。大げさに言えば、シティーの周りは公園を巡って散歩することが出来る。



文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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