マーベラス・メルボルン「報時球とウィリアムズタウン」

MARVELLOUS MELBOURNE マーベラス・メルボルン

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第14回 報時球とウィリアムズタウン

ウィリアムズタウン天文台の報時球
ウィリアムズタウン天文台の報時球

1800年代、イギリスからメルボルンへは帆船が唯一の移動手段であったが、その航法が難題であった。

緯度を計測をしながらイギリスから大西洋を真っすぐに南下して、アフリカ最南端の喜望峰まで向かい、喜望峰からはインド洋を真東に航海してメルボルンへ到達した。

緯度は北極星を六分儀で観測して測ることができた。17世紀までに日本にやって来た南蛮船では経度の測定方法が確立していなかっために、陸地や島を目視しながらの航海であった。しかし、喜望峰からインド洋を東へ航海する場合には島も陸地もなく、経度の正確な測定なしには航海ができない。

経度は太陽の南中時刻を2点で観測し、その時間差で求める。地球一周(360度)で1日分(24時間)となるから、経度が15度離れていると南中時刻に1時間の差異が生まれる。理論的には解明されたが、どうやって海上で正確な時間を知るのかが難題であった。

ウィリアムズタウンの街並み
ウィリアムズタウンの街並み
ウィリアムズタウン税関
ウィリアムズタウン税関
天文台前から見るメルボルン湾
天文台前から見るメルボルン湾

比較的正確で外洋海路の荒波での使用に耐える小型時計、マリン・クロノメーターが開発されたのは18世紀後半、クック船長の2回目の世界航海の際であった。しかし比較的正確とは言っても、当時のゼンマイ式時計は誤差が大きく、航海の度に天文台から正確な時間を入手する必要があった。世界制覇を目論む大英帝国が、グリニッジ天文台を設置した大きな理由がここにあった。伊能忠敬が1800年から16年を掛けて日本地図を作った際には、振り子時計という一種のクロノメーターを使用したが正確なものではなく、伊能の地図は経度測定が不十分であった。

メルボルンのサバーブで外洋への玄関口に位置するウィリアムズタウンには、天文台が1849年に設置された。その天文台の屋上に設置された報時球が毎日正確に正午に落下された。

メルボルンから出発する外洋船は天文台のすぐそばに停船して、報時球の落下時に船長や一等航海士がマリン・クロノメーターの時間を正午に合せてから、イギリスなどへ出発していった。ウィリアムズタウン天文台の報時球は53年から運営を開始した。

グリニッジ天文台に経度基準点が定められグリニッジ標準時とされたのは51年であり、報時球は33年に設置され現在も稼働している。このことから、メルボルンの科学技術はイギリス本国と連動して、ほとんど同時期に運営されていたことが分かる。

ウィリアムズタウンには19世紀の税関、軍港、要塞、ヨット・ハーバーなど港湾関係の見所が多い。メルボルンで一番の観光地でもあるので人気レストランやカフェ、ブティックなどが多数あり、電車やトラム、定期船、遊覧船などでも行くことができる。



文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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