マーベラス・メルボルン「叡智の集結」

MARVELLOUS MELBOURNE マーベラス・メルボルン

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第16回 叡智えいちの集結

ビクトリア州立図書館
ビクトリア州立図書館

ビクトリアがゴールド・ラッシュで沸き返っていた1854年、メルボルンに3つの重要な機関が設立された。

メルボルン大学とビクトリア州立図書館(設立当時は植民地政府立)、更にビクトリア・ロイヤル・ソサエティーである。大学と図書館は、建築礎石が同じ54年7月8日に置かれた。

ビクトリア州立図書館からはビクトリア州立美術館、ビクトリア産業博物館、更にメルボルン博物館などが図書館を母体として育っていった。同図書館は叡智が結集する場所であり、発展するビクトリア社会の母体とも言うべき重要な機関であった。

メルボルン大学は、人材を育て研究開発する機関である。創立当初は、法律、薬学、芸術、音楽の4学部であった。

当時は女性の入学は認められず、初めて女子学生の入学が許可されたのは、81年のことである。図書館と大学の2つの機関は、連携してメルボルンの発展に寄与していくことになる。

メルボルン大学法学部
メルボルン大学法学部
ビクトリア・ロイヤル・ソサエティー
ビクトリア・ロイヤル・ソサエティー
レドモンド・バリー銅像
レドモンド・バリー銅像

ビクトリア・ロイヤル・ソサエティーは、科学技術の推進を統括する機関であった。イギリスのロイヤル・ソサエティーではアイザック・ニュートンが会長を務め、ジェームズ・クック船長の世界航海の母体になるなど数々の歴史的功績を成し遂げている。ビクトリア・ロイヤル・ソサエティーも大学や図書館と同じ54年の設立でオーストラリア初の大陸縦断探検隊の派遣を始め、多くの科学的な功績を成し遂げている。

3つの学術機関を一度に設立できたのは、もちろんゴールド・ラッシュによってビクトリア植民地政府が裕福であり、莫大な予算を保有できたからである。

3機関の発足に重要な役割を果たした人物がいる。アイルランド人移民のレドモンド・バリーである。最高裁判事であったバリーは、ビクトリアの将来のためには、教育が柱であると信じ、植民地政府に働きかけて、3組織の設立を図った。

バリーは、メルボルン大学初代学長と州立図書館理事長を他界する80年まで務めた。最高裁長官、メルボルン病院、バララット大学、メルボルン万博総裁などの要職を務め、イギリスから男爵の称号を得ている。

3機関への行き方

メルボルン中央部のスワンストン通りを北へ歩くと、州立図書館の巨大なドームがあり、レドモンド・バリーの銅像は、州立図書館前広場の中央に陣取っている。

更に北へ4ブロックほど進むと巨大なメルボルン大学がある。シティー中心部から歩いて行ける場所に大学を設けたこともバリーの功績とされる。ロイヤル・ソサエティーは、エキジビジョン通りとビクトリア通りの交差点にひっそりと立っている。



文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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