マーベラス・メルボルン「ガス灯、近代化の始まり」

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第18回 ガス灯、近代化の始まり

メルボルン市内唯一のガス灯
メルボルン市内唯一のガス灯

植民開始当初のメルボルンの夜は、世界の他の町と同様にろうそくとオイル・ランプ灯火で細々と彩られていた。オイル・ランプは鯨油や牛羊などの脂を燃料にしていたが、臭いや煙などで人びとからは不人気であった。

そのころイギリスや欧米では石炭ガスをエネルギー源とする産業革命が進んでいた。1812年にロンドンで世界最初のガス灯会社が設立され、市内にガス管の敷設がスタートすると、50年ごろまでにガス管はイギリス全土に広まった。

その先進技術は、すぐにメルボルンにも到達した。1840年代には数人の意欲ある事業主が小型石炭ガス発生機を作って、ガス・ランプで夜の店舗を照らした。パン屋のウィリアム・オバートンがフィッツロイの鍛冶屋ジョージ・サウスに依頼して制作した石炭ガス・ランプは、1849年7月23日に市内の目抜き通りであるスワンストン通りの店舗に点灯して多くの市民の注目を集めた。

オーストラリア最後の石炭ガス化工場(ロンセストン)
オーストラリア最後の石炭ガス化工場(ロンセストン)
メトロポリタンガス会社本社(フリンダース通り)
メトロポリタンガス会社本社(フリンダース通り)
「Cook with gas」の標語
「Cook with gas」の標語

新しい物好きのメルボルンには、翌50年に早くもメルボルン市ガス&コークス会社が設立され、ロンドンから技術者を迎え入れて、市内や近郊地区にガス管が敷設された。56年元日に同社のバットマンヒル工場(現サザンクロス駅)に主要設備の蒸留棟が設置され、石炭ガスのメルボルン市内の店舗や事務所への供給が開始された。高価な鉄製のガス管は、全てイギリスからゴールド・ラッシュの金と引き換えに輸入された。

オイル・ランプに比べるとガス・ランプは格段の進歩であった。しかし、メルボルン市当局とガス会社のガス購入価格が折り合わなかったため、道路の街灯が実施されたのは57年8月であった。ガスの需要は非常に多く、ガス会社は多数のガス本管を敷設し、メルボルン市周辺部では今もなお使用されている。当時流行った用語が「Cook with Gas(ガスでクッキング)」であった。市内にはガス管が張り巡らされ、各家庭ではガス炊飯器、ガス温水器、ガス暖炉、ガス冷蔵庫などの使用が始まった。電気が普及するのは50年も先の1900年代のことであり、その当時、日本はまだ江戸末期である。メルボルンで近代的な生活が始まっていたのは、まさにマーベラス・メルボルンの到来であった。日本で最初のガス事業が始まったのは72年の横浜ガス会社であるので、メルボルンが20年以上も早い。

ただし、夜間にガス・ライトが点灯するのは長時間労働の始まりでもあった。産業革命の結果、大量生産の工場が出現し、労働者保護法などはないので、女性や子どもなども含んで、1日15時間以上の長時間労働も数多く見られた。ガス灯やガス暖房機はまだ初期の段階であり、火事が多発するなど不安定であった。


文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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