マーベラス・メルボルン「新聞発行の開始」

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第20回 新聞発行の開始

メルボルン創設者で最初の新聞を発行したジョン・パスコ・フォークナー
メルボルン創設者で最初の新聞を発行したジョン・パスコ・フォークナー

メルボルン最初の新聞は、メルボルンの創設者であるジョン・パスコ・フォークナーが作った「メルボルン・アドバタイザー紙」で1838年1月1日に第1号が発行された。メルボルンへの移民開始後、わずか2年後の出来事であった。当時の移民は知識欲が強く、メルボルンの出来事やイギリス本国、シドニーなど世界のニュースを知りたがっていた。

新聞は全4ページ、フォークナー自身がインクで手書きし、フォークナーが経営するシェークスピア・ホテルの壁に張り出された物である。同ホテルは、コリンズ通りとマーケット通りの角にあり、現在は碑文が掲げられている。手書きの新聞は、ウィークリーの発行で10週間続いたが、フォークナーが木製のプレス機と金属製のフォントを出身地のタスマニア・ロンセストンで入手したため、印刷に切り替わった。アドバタイザー紙は、シェークスピア・ホテル裏手の小屋で17週間にわたり、印刷し発行されたが、フォークナーがシドニーの植民地政府から新聞としての許可を得られなかったので、当局から中止させられた。

メルボルンで最初の新聞が発行された場所
メルボルンで最初の新聞が発行された場所
メルボルン・アドバタイザー紙発行の碑
メルボルン・アドバタイザー紙発行の碑
ヘラルド・ウィークリー・タイムズ旧本社ビル
ヘラルド・ウィークリー・タイムズ旧本社ビル

その後、フォークナーは新聞免許を取得して、「ポートフィリップ・パトリオット&メルボルン・アドバタイザー紙」を発行した。45年5月15日にメルボルンで初めての日刊紙となった。

メルボルンで発行された2番目の新聞は「ポートフィリップ・ガゼット」で38年10月27日にウィークリーで発行された。

「ポートフィリップ・ヘラルド紙」は、メルボルン3番目の新聞として40年1月3日から隔週発行の新聞としてコリンズ通りの粗末な板張りの小屋で発行された。最初は無料であったが、後には6ペンスで販売され、1年半後にはメルボルンで最大の発行部数を誇る新聞となった。同紙は、何度か名前を変えたが、55年に「ヘラルド紙」に名前を変え、その後135年間、その名前を継続した。現在は、ヘラルド・ウィークリー・タイムズ社になっており、オーナーであるルパート・マードックはメルボルン出身で、オーストラリアン紙を所有するなどメディア事業を推進した。マードックは、早くからアメリカに進出し、米タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル、20世紀フォックスなどを傘下に持つニューズ・コーポレーションを経営する世界のメディア王となっている。

ジョン・パスコ・フォークナーが使用した最初の印刷機は、ニューポートにあるサイエンス・ワークス博物館に展示されている。メルボルン・アドバタイザー紙の16紙は州立図書館に保存されている。


文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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