マーベラス・メルボルン「メルボルン発祥の地「ザ・フォールズ」」

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第24回 メルボルン発祥の地「ザ・フォールズ」

クイーンズ・ブリッジの真下にザ・フォールズがあった
クイーンズ・ブリッジの真下にザ・フォールズがあった

ヤラ川に架かるクイーンズ・ブリッジの真下には、かつて連続した岩石によってできた段差ほどの自然の滝があり、イギリス人はそれを「ザ・フォールズ(the Falls)」と名付けた。

ザ・フォールズは、ヤラ川の水面から1メートルほど突き出た玄武岩質の岩棚で、川の対岸まで横断していた。メルボルンを最初に調査したチャールズ・グリム船長は、1803年2月2日にヤラ川を調査し、ザ・フォールズから4キロほど川をさかのぼって、デイツ・フォールズ(Dights Falls)まで到達している。ザ・フォールズは現在残っていないが、デイツ・フォールズと似た滝であった。

原住民アボリジニーの人びとは、ザ・フォールズを集会の場所とするだけでなく、対岸に渡る橋としても利用した。ヤラ川の「ヤラ」とは、実はザ・フォールズを意味するアボリジニーの言葉であった。チャールズ・グリム船長は、ザ・フォールズの上流が真水であることを調査日誌に記録しており、その後のビクトリアへの移民を可能とした。

35年8月30日タスマニア・ロンセストンのジョン・フォークナーをリーダーとした最初の移民船(不法)エンタープライズ号がヤラ川をさかのぼり、ザ・フォールズの手前に停泊した。

北側の地ノースバンクに上陸した一行は、ザ・フォールズ北側の真水を飲用水や農業用水、羊・牛などの家畜用の水に活用して、メルボルンの地を開拓していった。フォークナー上陸地は、現在のエンタープライズ公園であるが、その後も移民船や輸送船が停泊して、最初は粗末な木製の桟橋が築かれ、メルボルン最初の港となった。

デイツ・フォールズもザ・フォールズ同様の滝であった
デイツ・フォールズもザ・フォールズ同様の滝であった
メルボルン水族館の前にある水路標識のモニュメント
メルボルン水族館の前にある水路標識のモニュメント

ザ・フォールズの下流側は、海水が混じる汽水域であり、ザ・フォールズによる水圧の力で削られ、水深が深くなっていた。ヤラ川の南北岸も水流で削られて、川の中の湾のようになっていた。

メルボルン水族館の前は、かつて湾であった記念に赤・黄・青の水路標識モニュメントが浮かんでいる。ヤラ川河口の水深が浅いために大型船は入港できないが、中型船までは入港することができる。中型船が旋回できるだけの大きさがあり、「ターニング・ベイスン(旋回湾)」と称されていた。

1860年代からサウスバンク(現在のクラウン・カジノ)にはドックが作られ造船業が盛んになった。サウス・ワーフには、イギリスとメルボルンを往復して活躍した快速帆船ポーリー・ウッドサイドと乾式ドックが海洋博物館として整備されており、当時の保税倉庫はレストランとなり観光客を楽しませている。

メルボルンが海岸ではなくヤラ川の少し上流に位置する理由は、まさにザ・フォールズの存在である。


文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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