マーベラス・メルボルン「オーストラリア建国と国旗」

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第25回 オーストラリア建国と国旗

オーストラリアは、インドネシアのバタビア(現ジャカルタ)に本拠を置くオランダ東インド会社(Vereenigde Oostindische Compagnie/VOC)の船長たちによって、17世紀に大陸の大半が調査された。

アベル・タスマン船長は大陸西海岸を回り、1642年12月3日に最南端の土地を調査し、VOC総督の名前を取って「バン・ディーメンズ・ランド」(現タスマニア)と名付けた。当時タスマニアは島ではなく豪州大陸の一部と考えられていた。

タスマン船長は10日後にはニュージーランドの南島をヨーロッパ人として初めて発見している。なお、タスマン船長は前年には日本南岸も調査していることは特筆しておきたい。

1770年にジェームズ・クック船長が初めて、オーストラリア大陸東海岸のビクトリア、ニュー・サウス・ウェールズ、クイーンズランドを調査している。

88年、囚人移民船団11隻がシドニー湾に入港し、1月26日(オーストラリア・デー)にアーサー・フィリップ提督がユニオン・ジャックを掲揚し、イギリス領土であることを宣言したことにオーストラリアは始まる。83年のアメリカ独立をきっかけに、イギリスがもはや囚人をアメリカに送り込めなくなったことが理由である。その後70年にわたり、オーストラリアはイギリスからの囚人移送の地となってきた。

1840年代に入るとメルボルンを中心にイギリスに対して、囚人移送反対運動が全土に広がった。49年にロンセストンのリバーランド・ジョン・ウェストが作ったタスマニア囚人移送反対協会旗は、初めてユニオン・ジャックに南十字星を配置したデザインであった。イギリスに対する熱い母国愛と南太平洋植民地の強い自尊心が表れたすばらしいデザインである。

豪州囚人移送反対協会の旗(①)
豪州囚人移送反対協会の旗(①)
ビクトリア植民地政府の旗(②)
ビクトリア植民地政府の旗(②)
ニュージーランド国旗(③)
ニュージーランド国旗(③)
オーストラリア国旗(④)
オーストラリア国旗(④)
英国旗ユニオン・ジャック
英国旗ユニオン・ジャック

51年からは、豪州囚人移送反対協会旗(①)としてオーストラリアとニュージーランドの植民地で打ち振られた。

豪州囚人移送反対協会旗にある5つの星は、南十字星と、5つの植民地(ニュージーランド、ビクトリア、南オーストラリア、西オーストラリア、タスマニア)を表している。59年成立のクイーンズランドは含まれていない。

51年にメルボルンでゴールドラッシュが始まると、オーストラリアの経済的貢献度が飛躍的に高まり、53年についにイギリスは囚人移送を中止した。

ニュージーランドも含めて各植民地の横のつながりは、それまでは全くなく、囚人移送反対運動を通して初めて一体としてまとまったのである。17年後の1870年にビクトリア植民地政府が似たデザインの旗(②)を採用した。1902年にニュージーランド国旗(③)が成立、03年にオーストラリア国旗(④)が制定された。囚人移送反対旗が両国旗の起源という定説はないが、十分な説得力を持つと筆者は考えている。


文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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