マーベラス・メルボルン「ウサギの大繁殖」

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第28回 ウサギの大繁殖

富豪牧場主の館、ウェリビー・マンション
富豪牧場主の館、ウェリビー・マンション

1859年、ビクトリア第2の都市で農業産品の出荷港であるジーロン郊外の大牧場の牧場主トマス・オスティンが、イギリスから競技ハンティング用として24匹の野生ウサギを輸入し、所有するバーウォン牧場に放った。

当時、オーストラリアの羊の数は1,500万頭に達して、富裕な大牧場主の中には英国紳士を気取ってウサギ狩りを始める者が増えていた。羊や牛を守るため、野犬ディンゴ、山猫、カラスなどを駆除していたので、牧場はウサギの繁殖に適していたのだ。人工繁殖場を作ったり、番人を置いたり、ウサギを贈り物にしたりする牧場主もいて大変なブームになり、ウサギを殺した使用人が解雇されるという事例まで出た。

ウサギの肉は、上流階級の中でもてはやされ、オスティンの牧場で1万頭を超えるウサギが狩猟された。ウサギ狩りは、植民地上流階級の重要な娯楽・スポーツとして定着していたのである。

ビクトリアにおける農産物の輸出港ジーロン
ビクトリアにおける農産物の輸出港ジーロン
ウサギが大発生した牧場
ウサギが大発生した牧場
ウサギは牧場の緑を食いつくした
ウサギは牧場の緑を食いつくした

イースターのウサギに代表されるように、ウサギは多産系の動物として有名で、60年代になると増えすぎたウサギが被害を与えるようになった。牧草を根こそぎ食い尽くし、牧草地を穴だらけにして、牧羊主に危機的状況をもたらした。トマス・オスティンも狩猟どころが、牧場が食いつくされる危機に陥り、100人を雇って200万頭ものウサギを駆除している。

80年代にかけては、ウサギの生息範囲がビクトリアだけでなく、NSW、SAまで広がり、個体数は数千万頭にまで増え、人口100万人のNSWだけで1,650万頭が駆除された。

ウサギの肉は下層階級専用の肉になり、メルボルンでも数百万頭の肉が入ってきて、街はウサギの肉を売る物売りで溢れた。

1900年ころには、年間1,000万頭のウサギの肉が輸出された。駆除のためにテン、イタチなどの天敵の導入が図られ、大掛かりな防御柵が作られ、毒薬も多く試された。同じ被害に苦しむニュージーランドはテンを大量に輸入したが、動物や農作物を食い荒らし、ウサギ以上の被害が出た。しかし、広範囲な環境破壊や他の動物を殺す被害を引き起こしただけで効果はほとんどなかった。

最大の問題点は99%を駆除しても、残りの1%により3年間で元の数字に戻ることであった。

被害が収まったのは、ウサギ特有の病気によってだった。1931年にミクサマトウシスという病気を持ったウサギが発見された。この病気による死亡率は100%で、感染したウサギは次々と死んでいったのである。

しかし、この病気も特効薬ではなく、1988年にはSA州で8,000万頭のウサギが記録されており、その後も大きな被害を与え続けた。オーストラリアで動植物検疫が非常に厳しいのは、ウサギの大被害に学んだことによる。


文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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