AUSメディア・ウォッチ「「死」は選択できるのか」

オーストラリア・メディア・ウォッチ

オーストラリアの新聞を始め、テレビ、ラジオ、オンライン・メディア、映画、書籍などで今話題のもの、または面白い記事やエピソードを取り上げ、そこから見えるオーストラリア社会を在豪日本人の視点で紹介する。

第29回:「死」は選択できるのか

タブー視されがちな「死」の議論。実は誰にでも身近なトピックでもある
タブー視されがちな「死」の議論。実は誰にでも身近なトピックでもある

人は痛みや苦しみに終止符を打つために死を選択する権利があるのだろうか。

そんな議論を経て昨年11月29日、ビクトリア州議会は安楽死を認める法案を可決。同州は来年半ばからオーストラリアで唯一、安楽死が合法的に行える州となる。

オーストラリアでは実は20年前にも安楽死をめぐる動きがあった。北部準州で1996年、安楽死を認める法律が一度施行されているのだ。ところが、翌年には連邦議会が法の廃止を可決し無効となっている。

ビクトリア州の今回の動きで、20年間くすぶっていたものに再び火が付けられたことになる。

分かれる賛否

安楽死が認められるようになるのは、ビクトリア州に1年以上在住する18歳以上の終末期患者に限られる。対象となる患者は、耐えがたい苦しみを伴う不治の病にかかっており、余命半年以内でなければならない。患者自身が安楽死の意思決定ができる状態になければならず、2人の医師による診断が求められる。

終末期患者に限定したビクトリア州の法律には、安楽死の強制などを防ぐための68のセーフガードも含まれている。そのため、安楽死を認める他の国の法律と比較してもかなり厳しいものとなった。

安楽死を支持する姿勢を長く示してきた地元エイジ紙は、法案が通過した翌日(17年11月30日)の社説で州議会の歴史的な可決を高く評価した。また国民の5人に4人が安楽死を支持していることに触れ、連邦議会でも同様の法案を可決するべきだと主張した。

一方、ビクトリア州を代表するもう1つの地方紙ヘラルド・サンは逆の姿勢を示している。同紙(電子版:同年10月20日)は社説の中で、法案の可決は「私たちの人の命に対する価値観を根底から覆してしまう」と述べ、安楽死よりも「緩和ケアの財源とそのアクセスの改善に力を注ぐべき」だと訴えた。

世界で最も厳しいとされる安楽死法であるにもかかわらず賛否が真っ二つに分かれているところに、一筋縄ではいかない難しさが垣間見られる。

戸惑う現場

「法案が可決された後も医療の現場では意見が分かれており、議論は続いている」と言うのは、メルボルン市内で医療関係の仕事に携わるレイチェル・スミスさん(仮名)だ。

昨年11月の時点で、ビクトリア州の主な病院の多くは、法の施行後に安楽死のための薬を処方するかどうかを明らかにしていない(エイジ紙、電子版:同年11月26日)。

カトリック系の病院やケア施設にいたっては、法の施行後も安楽死は行わないとの意向を早い段階から示している。

メルボルン市内に4つの病院を持ち、同州最大規模の緩和ケアを提供するセント・ビンセント・ヘルスもその1つ。安楽死に関するステイトメントの中で反対の姿勢を明確にし、「自殺幇助(ほうじょ)または直接的に故意に人の生命を断ち切ることが、価値ある人間をケアすることには決してならない」と述べている。

オーストラリアン紙(電子版:同年12月20日)によると、国内の病院及び高齢者ケア施設のベッド数の10分の1がカトリック系の病院・施設の物だという。法の施行に影響を及ぼしかねない数だ。

また、4,000人以上の医師を対象に行ったオーストラリア医師会(AMA)の調査では、安楽死のための処置を患者に施すことができると答えた医師は半分以下だった(同紙)。

医師が躊躇(ちゅうちょ)する理由を、安楽死法が成立して20年以上経つアメリカ・オレゴン州のチャールズ・ブランク医師は次のように説明している。

「(安楽死に)積極的に反対の医師もいれば、反対でなくても患者を殺す薬の処方箋をなかなか書くことができない医師もいます」(エイジ紙、電子版:同年10月16日)

オーストラリア医師会の元会長であるブライアン・アウラー教授は、特に施行の初期の段階では安楽死に関わる医師の数が不足するのではないかとみている。

「医療サービスの整ったメルボルン中心部は問題がないとしても、地方では問題になるでしょう」(同紙)

全国に広がる議論

さまざまな課題を抱える安楽死だが、その議論は州外に広がり始めている。

ニュー・サウス・ウェールズ州議会は昨年11月に安楽死法案を否決したばかりだが、クイーンズランド州では労働党の州議員らが安楽死法案に向けて動き出している。オーストラリア首都特別地域でも安楽死の合法化についての調査が始まり、その報告書は来年末までに議会に提出される。また緑の党のリチャード・ディ・ナタリ党首は今年、全国的な安楽死法案を提出するという。

法の施行後、ビクトリア州の医療や終末期ケアの現場はどうなるのか。今回の大きな一歩で、人びとの「死」がどう変わるのか。各州が注目している。

そしていずれ死を迎える私たち1人ひとりにとっても、安楽死をめぐる「死のあり方」の議論は、そう遠いところの話でもないのかもしれない。


クレイトン川崎舎裕子
Hiroko Kawasakiya Clayton

米系通信社の東京特派員(経済・日銀担当記者)を経て、2001年よりオーストラリア在住。クイーンズランド大学院にてジャーナリズム修士号を取得後、03年からライター。キャンベラを拠点に社会事情などについての記事を雑誌や新聞に執筆する
Web: twitter.com/HirokoKClayton

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