【現代アート】銃で撃ったり物を投げつけたらアートですか?

現代アート塾

関心はあるものの、実はまったく理解できない! いったいどこから勉強していいのか分からない! そんな読者の心の声に答えるべく登場したこのコラム。奥深い現代アートの世界に対する素朴な疑問に、著者がずばり回答。優しく解説してくれます。これを読めば、芸術の世界がぐっと身近に感じられるはず。

第14回

“銃で撃ったり物を投げつけたらアートですか?”

Image: Niki de Saint Phalle shooting at Impasse Ronsin, 1961
Image: Niki de Saint Phalle shooting at Impasse Ronsin, 1961

[編集部注:昨年末、日本で大回顧展が開かれたニキ・ド・サンファル。彼女が取り入れた手法の1つが、絵の具を仕込んだキャンバスを銃で撃つというものだった。]

ニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle、1930〜2002)は仏でファッション・モデルをしていて、動く彫刻で有名なジャン・ティンゲリーに出会いました。それ以前にアートの訓練はなく、アバンギャルドのアート・シーンにアピールするのに衝撃的なことを考えたのです。それが射撃をアートに取り込むことでした。華奢なファッション・モデルと射撃、そしてハプニング・アート――話題性は十分でした。

その衝撃的なデビューの後は、ティンゲリーとのコラボで自分なりの表現手段を学んでいきます。クールベの「世界の始まり」の絵画に影響され、子宮をアートにした最初の女性アーティストにもなりました。観客は子宮の入口に入り文字通り世界の始まりに参加するのでした。

そこで登場したのがハリボテです。後にカラフルでポップなニキ・ド・サンファル・スタイルを確立していきます。彼女は日本通で、オノ・ヨーコをはじめとした、日本人アーティストとも知り合いで、日本でも何回か個展をしています。

銃といえば、クリス・バーデン(Chris Burden)はピストルで腕を撃ち抜く過激なパフォーマンス(1971)をしました。自身の体を痛めるものでは、アブロノビッチ(Marina Abramović)はカミソリで皮膚を切りますし、豪州にも長らく日本にも在住していた、皮膚に大きなフックを突き刺して天井からぶら下がるパフォーマンスで有名なステラーク(Stelarc)や、体を痛めつける過激なパフォーマンスのマイク・パー(Mike Parr)はよく知られています。

これとは別に、オーストラリアにも、投げつけ、シューティングで有名なプロ・ハート(Pro Hart)という画家がいますが、商業アートで特に斬新なコンセプトはないようです。

だいたい絵の具をキャンバスに投げつけたり、キャンバス自体に穴を開けたり、切ったりするのは、ダダという活動があって初めて可能になるものでした。(注:ダダあるいはダダイズムは、20世紀初期に起きた規制秩序等に疑問を投げかける思想・運動)そのダダ的パフォーマンスを最初に確立したのがイブ・クライン(Yves Klein、1928〜1962)でした。

彼は裸の女性を地面に敷いたキャンバス上で引きずり回し、体に付けた青い絵の具を押し付けたり、スプレーを使ったりして絵を描いたのです。奇をてらったパフォーマンスでしたが、センセーショナルでした。

それ以降、パフォーマンスが画廊という空間を通じアートとなっていくのです。60年代の「ハプニング」や「イベント」というニューヨークに起こったダダ的活動は、クラインの先陣があって初めて可能になったのです。

画布を切ることで有名なイタリアのフォンタナ(Lucio Fontana、1899〜1968)、絵の具を垂らすジャクソン・ポロックなどもクラインに連なります。あまり知られていませんが、日本に加納光於という、絵の具を垂らしたキャンバス自体を放り投げて抽象的作品にする画家もいます。

60年代、絵の具を投げつけるどころか叩きつける絵画を東京で始めたのが、篠原有司男でした。

ある日、美術評論家、東野芳明は、アメリカの有名な画家ジャスパー・ジョーンズを伴い、高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之によるハイレッド・センターやネオ・ダダグループ(ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ:Neo Dadaism Organizers)を紹介しました。ネオ・ダダグループには、篠原有司男をはじめ、赤瀬川原平や荒川修作、風倉匠、吉村益信などが参加していました。ネオ・ダダグループは、実行しなかったものの「東京都美術館爆破計画」などという物騒な計画を練ったというエピソードもあります。

後にジャスパー・ジョーンズとともにネオダダの代表的な作家であるロバート・ラウシェンバーグも来日し、篠原は回転するデュシャンの動く彫刻を作り、ボクシング・ペインティングを披露しました。

篠原自身ボクサーであったわけではなく、とにかく人のやっていないこと、目立つことを前衛アーティストとして披露したかったようです。おかげでジョーンズらの興味を引き、欧米で彼らの活動は知られるようになりました。

それがあって彼はロックフェラー奨学金やデュシャン自身がアレンジした基金をもらい、ニューヨークに60年代単身で乗り込みます。彼のボクシング・ペインティングは当初ハプニングの域を出ないものでしたが、あまりに評価が高かったために、彼のトレードマークになりました。

現在ニューヨーク在住の篠原夫妻は、2年前ドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』で描かれ、一躍脚光を浴びました。最近SBSでも放映されたので、見た方も多いと思います。

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<著者プロフィル>
登崎榮一(Ph.D)◎メルボルン大学美術史/哲学学部博士課程修了、モナーシュ大学 アート&デザイン学部博士課程所属。現在は、メルボルン大学哲学科名誉フェローまたアーティストとして活躍するほか、ディーキン・RMIT大学(藝術の哲学)でも講師を務める。Web: bimanualdrawing.wordpress.com

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