【現代アート】映像作品の現代アートの鑑賞方法はありますか?(ビデオとフィルムの違い その2)

現代アート塾

関心はあるものの、実はまったく理解できない! いったいどこから勉強していいのか分からない! そんな読者の心の声に答えるべく登場したこのコラム。奥深い現代アートの世界に対する素朴な疑問に、著者がずばり回答。優しく解説してくれます。これを読めば、芸術の世界がぐっと身近に感じられるはず。

第21回 “映像作品の現代アートの鑑賞方法はありますか?”(ビデオとフィルムの違い その2)

A sinistra la Visitazione di Pontormo, a destra The Greeting di Bill Viola (2001)
A sinistra la Visitazione di Pontormo, a destra The Greeting di Bill Viola (2001)

映像作品の現代アートにおいて、ビデオを使った初期のアーティストと言えば、ナム・ジュン・パイクです。

彼は、裸女をパーフォーマーにしてビデオを使ったインスタレーション作品を作りました。オノ・ヨーコも関わった「フルクサス」というグループにも参加していたことがあり、そのグループのリーダー格だったジョナス・メカスがビデオを導入しました。そういった背景から、実はオノ・ヨーコもショート・フィルムをたくさん撮っています。

また、ビデオ・アートの草分け的存在として、ビル・ビオラ(Bill Viola、1951~)がいます。彼は1990年代には、ビデオ・アートの世界において第一級のアーティストとして認められていました。余談になりますが、私がロサンゼルスのポールゲッティ美術館で短期研究をしていたころのこと、広大な建物を散策していて、ビル・ビオラのスタジオを見つけたことがありました。

彼の部屋はロスを一望出来る最高のロケーションにありました。その彼の部屋を見つめながら、アメリカという国は成功した現代美術のアーティストをこのようにもてなすのだと、現代美術の豊かな土壌に感じ入ったものです。

さて、ビオラはビデオにおいてスロー・モーションをよく使います。それは、彼が「ビデオは時間そのものだ」と考えているからです。つまり、イメージは一瞬でしかない。それが持続するということは、記憶を通じて時間というものに通底しているということ。その時間というものはイメージと等価、いやそれ以上にイメージの内容そのものを変質させる力があるのだと、彼のアートは示しています。

例えば、3人の女たちが会合するビデオ・アート作品。そこで、ギリシャ風のコスチュームをまとった女たちは、それぞれが超スロー・モーションでサークルの中心に向かいます。エレガントな赤い布はゆっくりと風と体を追いかけるように体の進行方向になびいています。その作品を観る者は、その悠久な時間の中でまどろみ、イメージのフローに取り込まれていきます。

上記の作品に対する考察として、作品を見ることが、すなわち時間そのものになった瞬間と言えることが考えられます。この始まるともなく終わるともない不定限の時間の中にいつまでもまどろんでいるのは退屈です。しかし、この「退屈」といった経験がビオラのアートにおいて大事な要素なのです。日常生活で現代人は、この「退屈」で悠久な時間の中でまどろむ機会を持つことが自体が少ないのです。イメージの流れに、既にエネルギーの豊かさ、人の体の美しさ、日常の何気ない仕草に含まれる層の厚い時間と空間的要素が含まれているのです。

先月号で少し紹介したビデオ・アーティスト・吉田稔(1935~2010)の家族とその日常風景を撮ったビデオは、彼が考える日常と美術との連続性に意味があります。

彼はビデオを観る時、劇場で映画を観る時とは反対に、ビデオ・モニターが置かれた環境と連続性を持ち、モニターそのものが家具の一部となり部屋の空間自体を形作っています。画廊空間も同じで、ビデオ・モニターは画廊空間の家具となります。

ただ、画廊の壁にプロジェクターによって直接映写されるビデオ映像は、家具というより壁紙が形作られている状態と言って良いかもしれません。そして、その壁紙は鑑賞すべき壁紙なので、見ることを強要されている壁と言えます。しかし、作品を観る者は「壁紙」が面白くなければそのまま通り過ぎても良いのです。ここで画廊空間にプロジェクトされたビデオ映像は、観る者の恣意に任された、見たければいつまでも佇んでも良く、見たくなければ好きな時に立ち去ることが出来る、映画のように時間の強要が無い「イメージ=時間」という関係が成り立っているのです。

フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは絵画鑑賞について「音楽に比べて強要が少ないので良い」と言います。

音楽ならば(特にクラシック音楽は)聞きだしたら最後まで席を立てない強迫観念のようなものが働きます。一方、壁に掛かった絵は、いつまで見ていても良いですし、またすぐに立ち去っても良く、個人の意思で鑑賞の時間を変えられるというわけです。

ビデオ鑑賞も絵の鑑賞に近いのではないでしょうか? ビデオには、映画のように起承転結がありませんので、途中から見ても飽きれば立ち去ることも自由です。ただ、それがアートである限りは見る者の意識的参加や解釈によって深い意味も帯びてくるので、出来ればじっくり鑑賞して欲しいと思います。

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<著者プロフィル>
登崎榮一(Ph.D)
◎メルボルン大学哲学/美術史並びにモナーシュ大学 アート&デザインでPhDを取得。現在は、アーティストとして活躍するほか、ディーキン大学でも講師を務める。
Web: bimanualdrawing.wordpress.com

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