【現代アート】日本は現代アートが成り立ちやすい国なのでしょうか?

現代アート塾

関心はあるものの、実はまったく理解できない! いったいどこから勉強していいのか分からない! そんな読者の心の声に答えるべく登場したこのコラム。奥深い現代アートの世界に対する素朴な疑問に、著者がずばり回答。優しく解説してくれます。これを読めば、芸術の世界がぐっと身近に感じられるはず。

第24回 “日本は現代アートが成り立ちやすい国なのでしょうか?”

山口晃、『成田国際空港 飛行機百珍図』(2006年)
山口晃、『成田国際空港 飛行機百珍図』(2006年)

結論を言いますと、日本は現代アートが「成り立ちにくい国」と言えます。しかしそれを逆手に、日本現代アートを「ブランド物」として売り込む余地は大いにあります。

美術評論家・椹木野衣氏は『日本・現代・美術』の中で、日本美術は忘却をこととし、同じ問題を繰り返しているので、美術史としての審級はなく、円環が閉じていると言います。この閉ざされた円環の非歴史性を椹木は「悪い場所」と呼び、日本現代アートは世界の現代アートからは異端の「悪い場所」と指摘します。

西洋は、ギリシャ=ローマ的世界観を基としたキリスト教観というゴーストと神話を織り込んだ歴史主義と言えます。現代アートにも歴史主義は生きていて、美術史という怪物に「非芸術」もどんどん飲み込まれています。日本にはこの「歴史主義」が成立し得ないのです。椹木は更に、「戦後の日本の現代美術が『具体』や『もの派』によって世界的に知られるようになりつつも、それらは戦後、封印された『戦争画』の記憶の忘却の上に成立したものであり、日本の現代美術においては、『絵画』や『彫刻』を既成の事実とする型通りの通史よりも、そのような歴史の構築がなぜ、機能不全に陥るかを考えるべき」と言います。この歴史主義の機能不全を起こす場所が、現代美術にとっての「悪い場所」になります。これには当然日本と西洋との「美術」に対する歴史観、制度上の違いというものがあります。日本に「美術」という制度が、美術館と一緒に入ってきたのは明治以降で、それと並行し民芸や日常品という範疇の美学が連綿と息づいているのが日本美術とも言えます。

1950年代にフランスの有名な哲学者・アレクサンドル・コージェヴという人が日本を訪れ「いずれ世界は全て日本的になるだろう」と言いました。1960年に来日した記号論学者ロラン・バルトは、漢字という象徴言語を基にした日本の伝統と中心となる意味の不在に、西洋にない自由なユートピアを見て『象徴の帝国』という本を書きました。同じく1980年に来日した芸術家ダニエル・ビュレンは「東京はモダニズムの極限である」と評しました。日本には伝統がありつつも、西洋から移入された近代が極限まで実現された不思議な場所なのです。

フランスの哲学者ミッシェル・フーコーの『知の考古学』は、「発掘」することで神話という領域に行き当たる、社会に潜む無意識を暴き出そうとした労作ですが、同時にヘーゲル的な「歴史主義精神」を否定し、文化の営為(芸術、文学など)ごとに縦割りの系譜学があるのだと主張します。では、日本が戦後という切断を持った「歴史主義」が成り立たない国だとしても、「芸術」という分野ではフーコー流に言って「独自の成り立ち」は無いのでしょうか?

椹木流には、日本は「美術史」が成り立たない国ですが、それを逆手に取り、美術館というのは元々墓場のようなもので、「無際限の欲望と底しれぬ絶望の隣り合わせ。そのダイナミズム、それこそ、現在のアート・シーンの真のリアリティーである」としたら、日本の現代美術にもリアリティーはあるということになります。

北斎を始め漫画文化はアニメの国際的評価につながり、村上隆などの人気作家を排出し、更に悪い場所である日本近代を乗り越えて、江戸帰りを試みる山口晃といった作家もいます。日本現代美術はもはや奇想の系譜のフォーク・アートと言えます。

日本の大衆アートは、官製に対するしたたかさがあり、「おたく文化」とも評されることはありますが、草の根的な強さがあります。その大衆アートを笠に着た日本現代美術は、大衆にとってアプローチしやすいものとなっていると言えます。椹木は、アートは難解、というのはもう過去の話で、今ではもう一番のおしゃれといった方が良いようなご時世なのであると言います。現代アートもまた現世利益を軸に動くようになったのです。そこで必要なものは「ブランド化」です。椹木は、現代アート市場をにらみ、美術家のブランド化が必要で、「ハイアートにおける『セザンヌ』『ピカソ』といった『名』の流通と、村上がパートナーとした『ルイ・ヴィトン』のような文字通りのブランド名との間に、本質的な違いはない」のであって、「近代の芸術をめぐるシステムを、周囲がたじろぐほど徹底して保守している」日本現代美術は国際美術市場に打って出る資格がある作品群を持っている、ということになります。

「現代美術の海外発信について」という文科省の現代美術の海外発信に関する検討会が出した報告書では、例えば中国に比べて日本は政府レベルでの現代美術への支援が大変少ないことを挙げています。さすが政府機関、「新しい文化芸術、ライフスタイル、経済活動、生産活動などの多くの面で学び得ることがある国として受け止めてもらうことが、将来の日本の安全保障にもつながると考えられる」と、国際安全保障への言及も忘れていません。近い将来、官製国際現代美術展というものが組織されるかもしれません、しかし、それがフォーク・アートしての日本現代美術の死を意味しないことを願うばかりです。

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<著者プロフィル>
登崎榮一(Ph.D)
◎メルボルン大学哲学/美術史並びにモナーシュ大学 アート&デザインでPhDを取得。現在は、アーティストとして活躍するほか、ディーキン大学でも講師を務める。
Web: bimanualdrawing.wordpress.com

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