【現代アート塾】なぜキャンベルの缶がアートなのですか?

関心はあるものの、実はまったく理解できない! いったいどこから勉強していいのか分からない! そんな読者の心の声に答えるべく登場したこのコラム。奥深い現代アートの世界に対する素朴な疑問に、著者がずばり回答。優しく解説してくれます。これを読めば、芸術の世界がぐっと身近に感じられるはず。

第3回

“なぜキャンベルの缶がアートなのですか?”

アンディ・ウォーホルというポップ・アーティストがいました。無表情で白髪、1980年代には日本のTDKの宣伝にも出ていた人です。

彼は50年代、グラフイックデザイナーとしてピッツバーグからニューヨークにやって来て、雑誌「Vogue」などでの作品掲載を経て成功しました。ニューヨークでファクトリーと名づけた巨大なスタジオを構え、さまざまな芸術家と共同制作をしました。先月号で取り上げた落書きアートのキース・ヘリングやバスキアとも制作しています。また、ベルベット・アンダーグラウンドというロック・グループを擁し、「将来、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」という趣旨で「Interview」というインタビュー雑誌も発行しました。

62年に、「32個のキャンベルのスープ缶」というシルク・スクリーンの作品を発表。この作品は一大センセーションを巻き起こし、彼はポップ・アートの旗手となりました。マーケットで売っているただのスープ缶を画面上に並べただけの作品。なぜこれが、戦後の美術史の中でも最も有名な作品となったのでしょうか?

このスープ缶の解釈は色々あります。「ポップ・アーティストとして、中身は無視して、外観と表層だけにこだわった」「だから無機質で何の感情移入もない対象をあえて選んだ」「伝統的画家というイメージを払拭しようとした」「シルク・スクリーンというメディアを使ったのは、筆跡を残さず画家としての自分を消すため」「絵画も日常の事物と等価であることを示した」など。キャンベルスープ缶は「母親の子宮」を表しているという精神分析的解釈というのもあります。ウォーホル自身、インタビューで、このチキン・スープは好きで毎日食べるからなじみがあったと言っています。実際、彼に昼食をごちそうするから来いと招待された友人は、キャンベルのスープ缶を温めただけの昼食を出され驚いたと言っています。マザコンともいえるくらい母親と密接で、彼の作品には、彼女のサインが入っているものもあります。彼は自分の作品に無頓着で、誰が署名しようがお構いなしでした。講演を頼まれても替え玉を送ったりしていたほどです。オリジナリティにも無頓着。キャンベル・スープ缶を描いたのも他人のアイデアから生まれたものだと言っていました。

実際ニューヨークのギャラリー・オーナーであった女性に「あなたが1番愛してるものを描いたら」と言われたので、「1ドル紙幣」を描いたのです。次に彼女が提案したのが「誰もが日常的に目にするもの、例えばキャンベルのスープ缶」。彼はそれをただ描いただけだとも言います。

「彼ほど友人が必要なときに役に立たない人間はいない」などと言われ、周りの信頼も薄かったようです。植木等ではないですが、超無責任男だったわけです。しかし、絶世の美女や優れた才能の人びとがファクトリーにやってきて共同生活を営んでいました。この有名人の無責任ぶりが反感を買ったのか、68年にファクトリーに出入りしていた女性運動家に拳銃で撃たれ瀕死の重傷を負っています。このことを題材に『I shot Andy Warhol』という映画も作られました。いろいろと話題に事欠かない人でした。

ウォーホルの手法の基本は「繰り返し」です。無味乾燥な繰り返しで対象の内容を消去しているようにも思えます。そして同じ題材の作品が量産されます。美術批評家たちは、絵画作品が日常品のスープ缶と同等の扱いを受けることに衝撃を受けました。お金を愛していると公言しているくらいですから、ウォーホルは美術市場に対するしたたかな計算もあったことは事実でしょう。しかし、彼のドライな色使い。これには一目置かざるを得ません。とてつもなく軽く表層的で洗練されています。彼の作品にはすべてを笑い飛ばしてしまうような強さがあるのです。ボードリヤールもそう言うように、複製時代に生きている我々。彼のキャンベル・スープ缶は、「オリジナルなど元々存在せずすべてがコピーである」という人生哲学であったのかもしれません。

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