第121回 楠公祭

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第121回 楠公祭

ご機嫌いかがですか、れんです。

今月からこのコラムが11年目に突入しました。心新たに頑張りますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

先日ある方に仏様のフィギュアを頂きました。須弥山(しゅみせん)に住んで仏教を守護する“四天王”のうちで北を護る多聞(たもん)天(独尊として信仰される場合は毘沙門(びしゃもん)天)と、南を護る増長天です。箱から出さないまま高い所に飾らせて頂いていますが、2尊とも仏様であって神道の神様ではありませんから、拝む前に手をたたいてはいけません。フィギュアとはいえ仏様、間違えないように気を付けています。

さて、今年の5月26日、兵庫県神戸市の湊川神社で「楠公(なんこう)祭」が開催されます。5年ごとに行われるこの祭りですが、前回の2013年には30万人を超える参観者が沿道に溢れたそうです。「楠公」とは楠正成(くすのきまさしげ)のこと。後醍醐天皇を助けて鎌倉幕府を倒した際の中心人物の1人です。あまり、なじみのない時代ですのでちょっと補足を。

当時天皇家は後深草(ごふかくさ)系統の持明院(じみょういん)統と亀山系統の大覚寺統の2つに分裂していました。

こんなことが起こった原因は後嵯峨天皇にあります。次男の後深草天皇に譲位して自ら院政を敷くと、後深草に皇子が生まれる前に、三男の恒仁親王(亀山)を皇太子にしてしまいます(長男は皇族初の征夷大将軍で鎌倉幕府へ)。そして亀山が天皇になると、後深草のではなく、亀山の嫡男世仁(よひと)(後宇多)を皇太子にするのです。不満な後深草は幕府を巻き込んでの大騒動。そして200年に及び王家を分裂させてしまいます。長子相続を無視した後嵯峨が招いた事件でした。

後嵯峨から数えて9代目の天皇となる後醍醐(大覚寺統)は討幕を試みて挙兵。幕府はすぐに光厳(持明院統)を即位させます。しかしここで楠木正成ら反幕府勢力が結集し鎌倉幕府が滅亡。後醍醐は光厳を排して建武の新政を始めます。

そこから足利尊氏が挙兵。一旦は撃破して九州に追いやったものの、湊川の戦いで宮側が破れて正成は自害します。後醍醐天皇は吉野に逃れて南朝を開きますが、敗れた南朝側について死んだ正成は朝敵となってしまいます。

時代は下って江戸時代、尊王の水戸学によってやっと正成が忠臣として見直され、明治になって正一位の追贈を受けました。

楠木一族が祀られている湊川神社。明治7年に神輿渡御(みこしとぎょ)が行われ、正成を大将とした騎馬武者がこれに供奉(ぐぶ)。これが御神幸(ごじんこう)楠公武者行列の始まりです。「南朝時代の時代風俗を如実に描き出した絢爛豪華な古典絵巻」と称される三千余名の大行列に観客は目を奪われます。

それでは作品をご覧ください。武将楠正成のイメージに従って、力強く楷書に近い形で書きました。筆の乱れは気にせず、強い線を引くことに集中します。またスピード感を出すためには渇筆が必要ですので墨量もそれに合わせて調整します。全体の右上がりの角度をそろえ、引き締まったボディーを頭に置きながら、圧の効いた張りのある線を書くよう心掛けました。

筆で字を書く時にあまり重視されてないように思うのが「墨量」です。とにかくたっぷりと墨を付けて書き始める方が多く見受けられます。しかし、黒白しかない状況下での表現からすれば「かすれ」を有効利用するのは当然のことで、それには計算された墨量の調整もまた当然だと言えます。

そういうところに注意しながら作品を見ると、揮毫した人物の意図を知ることができるかもしれません。更には玄人と素人、本物とまがい物の見分けがつくようになるかもしれませんね。


れん(書家/アーティスト)
アーティストとして永住権取得。2010年、作品「ふるさと」が日本の国有財産として在豪日本国大使館に収蔵される。Government Houseでの企画展など日・豪・ドバイで作品展示多数。在豪日本国大使館、在オークランド日本国総領事館の招聘によるイベント参加やNSW州立美術館ほか各地で大書パフォーマンスやワークショップを展開。ハリウッド映画『The Wolverine』製作に書家として参加。2016年シドニー総領事表彰を受ける。書団れん倶楽部主宰。チャッツウッドで書道教室運営。RENCLUB Lineスタンプ販売中。
Web: renclub.net / Email: renclub@gmail.com / 動画: youtube.com/user/renclub

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