第4回 元発行人のローマ便り

元発行人のローマ便り 第4回

今回はローマ便り番外編として、アウシュビッツでの経験を。これまでヨーロッパにステイするたびに、頭の隅にいつもあったのが、アウシュビッツをいつか見学したいという願望でした。ただ、人類の最大悪を象徴する場所は、とてもじゃないけれど耐えられないと思い、延ばし延ばししていた次第です。英語で言えば、I CAN’T HANDLEだとずっと思い、実行できませんでした。特に確か10年くらい前、テレビのドキュメンタリーで20代の若者たちがアウシュビッツを見学するのを追った番組で、1人の屈強な若者が、見学の後、ヘナヘナと地面に座り込み、号泣するのを見て、その気持ちを一層強くしましたね。

ただもう還暦も過ぎ、行きたくても行けない日だって来るかもしれないんだぞと言い聞かせ、アウシュビッツ行きを決めました。

スコットランドに住む友人2人が同行したいとのことで、3人組で行くことに。行き方を決める段階で初めて気付いたのですが、アウシュビッツはポーランドにあったのですね。ずっとドイツにあるものと思っていました。それでよく長い間新聞を出していたな、と嘲笑されそうですが。

結局、ローマから、グラスゴーに飛び、そこで2人と落ち合い、そこからポーランドの首都ワルシャワへ飛び、そこで2泊し、そこから車でアウシュビッツへ。アウシュビッツの後、クラッカウ(CRACOW、戦火を免れた街で、王宮広場などはまるでおとぎ話に出てくるような空間、お薦めです)で1泊し、エディンバラへ帰るというスケジュール。

これまでポーランドという国には、全く目が行かなかったのですが、ワルシャワは昔と今が上手くミックスされた雰囲気のある街です。最もナチスによって全壊させられ、その後昔のままに再建築された街ですが。ここはナチスの手に落ちた後、ユダヤ人が強制的に押し込まれたゲットーという地区があることで有名ですが、現在残っているものは、その時造られた壁の一部だけです。


アウシュビッツ・ビルケナウの玄関口

アウシュビッツ。地名からして、おどろおどろしい響きがありますよね。これはドイツ語で、オシフィエンチムという場所に強制収容所を造る際、ナチスによって改名されたものです。来てみなければ分からないことは、いろいろありますが、アウシュビッツも第1、2、3と3カ所あるんですね。ほとんどのツーリストが見学するのは、1と2。働けば自由になれるという標語が門の上に掲げられていることで有名なのが、第1。去年それが盗まれニュースになりましたが、オリジナルは大事に保管されているので大丈夫とガイドが言ってました。鉄道の線路が入り、「死の門」と呼ばれ、監視塔のような部分だけが突出している特異な建物があるのが第2。ここはアウシュビッツ・ビルケナウと呼ばれています。第1と2は4キロぐらいの距離が。見学ツアーは、20人ぐらいが1つの団体となって、ガイドに先導されます。


有刺鉄線の一部

第1は周囲が有刺鉄線で囲まれており、門をくぐると、かなり頑丈なバラックが何棟も並んでおり、そのうちの数棟の内部を見学。これまでドキュメンタリーでもよく見た、ユダヤ人たちのカバンやバッグ、靴、それに髪の毛までが山のように残されている棟。精神のおかしい囚人が収容されていた部屋。毒ガスとして使われたチクロンBのおびただしい缶の展示。そして、ガス室へ。ガス室の天井を見ると、シャワーの蛇口が。ここから毒ガスが吹き出てきたんですね。それから、毒殺された人間の遺体が焼かれた焼却炉。恐ろしい光景ですが、体が固まるとか、戦慄が走るということはなかったです。そして無数の犠牲者の写真。

それからミニバンでビルケナウへ移動。ここで、最終的にガス室がいくつも作られ、信じられれない大量殺人が行われたんですが、ガス室は残っておらず、すべてが破壊され、その残骸がメモリアルとして残っていました。次に囚人が押し込まれていたレンガ造りのバラックが、敷地には無数にあるのですが、そのうち1つに入り、内部を見ることができます。家畜でももっとましな収容施設を与えられていたはずと、怒りが込み上げてきます。


働けば自由になれるという標語がかけられた門

アウシュヴィッツを見学して、I CAN’T HANDLEとか耐えられないとか、号泣するというようなことはなかったです。すべてきれいに整理され、こんな表現は不謹慎かもしれませんが、映画のセットを見たような印象を持ちました。そうそう、アムステルダムにあるアンネ・フランクが隠れていた屋根裏部屋にも、同じようなことが言えると思います。初めて70年代に見学した時は、陰鬱な感じがしたのを今でもよく覚えていますが、90年代に再見学の際、かなり整理整頓され、明るい感じがしました。こういう歴史的な場所を当時の雰囲気のまま残すのは不可能で、後世のために永遠に保存するには、「小ぎれい」になっていくのは当然ですよね。

アウシュビッツで、私にとって一番インパクトがあったのは、この少年の写真です。アウシュビッツに限らず、大戦下ナチスに追い立てられるユダヤの子どもたちの写真は多く見ていますが、ほとんどが無表情だったり、茫然自失や恐怖や心配の表情でした。母親の手を握りしめているこの少年は家畜のように貨物車に押し込まれ長旅の後、アウシュビッツに着いたところを、ナチスのカメラマンにレンズを向けられたものと思います。少年は、怒りと憎しみの瞳で、カメラマンを睨みつけています。こんな強い感情を示した、子どもの写真は初めてです。

この少年を見ながら、ほとんどの親子がアウシュビッツに到着し、いわゆるセレクションの後、ガス室へ直行させられたという解説を読んでいると、涙が噴きこぼれました。(元発行人 坂井健二)

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