その4 日本語教師を目指していたころ

タコ社長の英語習得悪戦身に付かず

タコ社長の英語習得悪戦身に付かず
その4
日本語教師を目指していたころ


「象は鼻が長い」。鼻が短かったら象じゃないのか、とか、タコ社長は鼻の下が長い、とかいう話ではない。日本語教師になる勉強をしていた時に、この文章に出会ったのだ。タコ社長、こう見えても移住の目的の1つはオーストラリアで日本語を教えることだった。
 ところでこの文章を英訳してみよう。いったいどうなるのか。む〜ん、案外難しいと唸ってしまった。
 次に挑戦した日本語は「私は、リンゴが好きです」だった。なんだ、中学1年の英語じゃないかと思って英語と日本語の文章を比べてみた。またむ〜ん、と唸ってしまった。「I like apples」。この英語文と、前述の日本語文はすっきりと合致しないのじゃないか。
 英語の主語は「I」だ。日本語の主語ももちろん「私」だろう。いや、待てよ。じゃ「リンゴ」は何にあたるのだろう。それに日本語では「好き」は形容動詞と言われている。いったい、形容動詞って何だ ? 英語の「like」は動詞じゃないか。いつもあまり使っていない頭が、こんがらがってきた。
 私は、それまで考えたこともないことに出くわして熱くなった。む〜ん、日本語とはなんと面白い言語なのだろうか。と言うより、言語を比較することの面白さを知ったのだった。
「よし、ブルドーザーのセールスマンを辞めて、日本語教師になろう。そして、友人のいるオーストラリアに行って日本語教師になろう」。そう思うようになったのは、日本語の勉強を始めてからしばらく経った、1984年の7月のことだった。
 9月に会社を辞め、本格的に勉強をし始めた。タコ社長、一生懸命探せばどこかに産毛でも残っていそうな32歳の青年だった。日本はこれからバブル経済に突入しようとしていたころで、会社を辞める人はほとんどいなかった。自分の都合で辞めた場合、退職金は少なくなると知った。9年勤めて何と34万円だった。笑っている場合じゃなかった。あ〜。でもとりあえず、Keep smiling !


タコ社長プロフィル
1952年 世田谷の貧しい警察官住宅で出生
1964年 練馬区健康優良児予選落ち。体力より知力で及ばず
1985年6月 移住目指してオーストラリア入り。ダーウィンでトップレスの女性と浜で立ち話をして感激
1987年 日本語教師としてオーストラリアで初めての仕事に就く
1990年 オランダ系の連れ合いと入魂になり、すったもんだの日々が始まる
1996年 メルボルンの258 Little Bourke St.,に、某MTSC留学センターを立ち上げる
タコ社長ブログ:plaza.rakuten.co.jp/takoshacho

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