第7回 船から船への大移動-ギリシャにて-

地球はやっぱり青かった!

絵本作家・森本順子氏がPEACEBOATで巡った世界1周の船旅の記録
文・イラスト・題字=森本順子

第7回 船から船への大移動-ギリシャにて-

「ねえねえ、乗り換える船って、真っ白い大きな、スッテキな船よー ! その名が “ モナ・リザ ” だって ! 」。いち早く探検してきたらしい女性のその情報は、チャーター船「クリッパー・パシフィック号」の故障で足止めされていた私たちの不安をたちまち期待に変えた。
 そもそもクリッパー・パシフィック号による前回(第62回)クルーズの遅延に、某週刊誌の憶測のスクープ記事も手伝って、一般客の中にはこの船をチャーターしている「ピースボート」の存在に偏見や疑念を抱く向きもあり、さらには某国から嫌がらせに遭っているのでは…などという人さえ出てくる始末。
 何度か行われた全体会議で、遠方から出かけて来た船主やジャパングレースなる船会社の重鎮たちの平身低頭の陳謝とともに、現状説明などが示され、その後乗客による署名活動も実施されたりして、ついにギリシャでの船の乗り換えが実現することとなった。
 その陰に、「おりづるプロジェクト」代表の10人の被爆者たちの機敏な努力があったことを忘れてはなるまい(この10人は証言活動でギリシャに出張し、トルコからの船の到着を待ち続けてアテネに滞在していた)。この人たちが危機感を持ち、自分たちにできることはないかと考えた末、世界平和市長会議、アテネの市長、たくさんのメディア宛に、陳情書を書いたのである。
「高齢になっている被爆者の2度とは期待できぬ貴重な証言の旅を、ここで挫折させることなく、最後まで実行させてほしい、そのために力を貸していただきたい…etc」。この文書の反響は大きく、おかげで、世界のあちこちからたくさんの応援のメッセージが返ってきたことが、船会社を動かすところとなったと聞く。
 ギリシャのピレウスは、世界の船主や船会社の集まる所ということも幸いし、代替船がすぐに調達できたのだという。
それにしてもである
 700人に上る船客の船から船への大移動は容易ではなかった。
 ふた月になろうとする船旅で、乗客の所持品は確実に増えている。とても各自で運べる量ではない。また一方の、ピースボート側が所有する、エレベーターにも乗らない嵩高い一切の備品、たくさんの蔵書類、楽器やピアノ、和食料理のためのいくつもの大型炊飯器にはじまる厨房関係の設備や什器のたぐい、和室用の畳や襖、障子に置き床、etc…、そして、我々のスーツケース、ダンボール箱などに至るまで、これらの移動はすべて、乗客である若者たちと、腕力にまだ自信のある男性たちのボランティアによる、まさに人海戦術に依存したのである。
 我々後期高齢者群は、むしろ手足まといにならぬことこそ協力と言うものであった。
 何十段もの階段をバケツリレー式に重いダンボール箱などを3階右舷の乗降口まで下ろし、さらに傾斜した揺れるタラップを経てやっと埠頭に着地という、かなりの危険を伴う作業であった。

クリッパー・パシフィック号と著者クリッパー・パシフィック号と著者

その移転の前夜、開かれた「お別れディナー」では
 これまで親しんできたウエイターやウエイトレスたちがギターなどを弾き、歌い、手を振りながら、我々のテーブルの間を練り歩き、別れを惜しんでくれた。こちらからも、彼らを励ます意味もふくめて、「上を向いて歩こう」をみんなで合唱した。
 翌朝、私服となった200人に余る彼ら乗務員たちは昨夜をもって解雇されていたのである。だからなのか、彼らはあの引っ越し作業に全く関わることはなかった。思えば乗船以来、彼らから受けた行き届いた対応や明るい笑顔を私たちは容易に忘れることはないだろう。
 かくて世紀(?)の大移動は無事完了した。渾身の力を尽くして、危険な荷運びを果たしてくれた多数の若者たちや、進んで協力された多くの方たちには今も深甚の感謝のほかない。
 さようなら、クリッパー・パシフィック号よ。青く果てしない海の上の我が家よ。たくさんの思い出をありがとう ! 濃紺の船腹から間もなく消され行くであろう「PEACEBOAT」の白い文字よ、さようなら…さようなら。


PROFILE もりもとじゅんこ◎
1932年3月31日生まれ、広島市出身。シドニー在住。45年8月6日13歳の時、広島市で被爆。82年50歳でオーストラリアへ移住。著者自らの被爆体験を描いた英語版絵本「My Hiroshima」ほか、日本民話の英語版絵本「鶴の恩返し(The White Crane)」「一寸法師(The Inch Boy)」「わらしべ長者(A peace of straw)」「なめとこ山の熊(Kojurou and The Bears)」「仁王とどっこい(The Tow Bullies)」など著書多数。84年から4年連続で豪州児童図書評議会賞を全国3位、2位、2位、1位受賞。97年と98年にNSW州児童文学賞およびオーストラリア児童図書評議会賞1位を受賞。

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