第12回 コロンブス、被爆アオギリ、ウゴ・チャペス

地球はやっぱり青かった!

絵本作家・森本順子氏がPEACEBOATで巡った世界1周の船旅の記録
文・イラスト・題字=森本順子

第12回 コロンブス、被爆アオギリ、ウゴ・チャペス

中には地球が球体だとまだ知らぬ船員たちもいたら、大西洋を放浪すること2カ月余りの航路が、平穏であるはずもない。「あと3日で陸地が見つからなければ引き返す」と約束させられたコロンブス。なんと幸運にも、その3日が終わろうとする真夜中、物見の水夫が陸地を発見した ! 例の「イヨークニガミエル」の1492年10月のことであった。しかしそこは、彼が目指したアジアなどではなく、カリブ海に点在する島々の1つだった。こうしてコロンブスが唾をつけた島々や地域は、その後、大航海時代を迎えたヨーロッパの列強や、地続きの隣国ハイチの支配などにより、繁栄の陰に生じた貧困、特に奴隷制度の悲劇をもたらし疲弊した。
 九州ほどのこの島国は、こうした数々の苦難を乗り越え、1844年、ドミニカ共和国としてようやく独立したのである。旧市街に残る世界遺産、コロンブスの子孫3代が住んでいたといわれる、アルカサルという豪華絢爛たる歴史的建造物のある広場の一角を占めて、今度は故国スペインを指差して高々と立つコロンブスの銅像の頭の上に、平和のシンボルたる鳩が1羽ちょこんと留まっていた。コロンブスは果たして平和の使者だったのか ? 彼の残した功罪は、その後の歴史が物語っている。
 
さて、おりづるプロジェクト100名余りは、サントドミンゴ市のある公園に「被爆アオギリ2世の木」を訪ねた。それはまだほっそりしたアオギリの幼木で、2本とも立派に緑の葉を広げ、姿勢を正して立っていた。
 あの朝、広島市逓信病院で働いていた20歳のある女性が原爆投下で片足を失った。心身絶望の淵をさまよう1年が過ぎたころ、逓信病院に残されていた、被爆して焼けただれ枯死したと思われていたアオギリに小さな若葉が芽吹いた。「ヒロシマには70年間は木も草花も生えない」と恐れられた被爆地での芽吹きは、被爆者たちに大きな希望の灯をともした。

地球はやっぱり青かった!

 彼女はそのアオギリとともに生きてみようと決心した。彼女の生涯を通じての努力で、親木から生まれたアオギリ2世たちは世界の各地に送られ、被爆犠牲者の冥福を祈り、非核、非戦の決意を促し続けている。ヒロシマの平和公園に移植され、今も鬱蒼と陰を落とすアオギリの老木もまた、年間140万人余りも訪れる人々に無言で平和の尊さを語り続けている。
 その公園で偶然、ドミニカ日系人協会との交流があった。日本人移民で高齢の代表の方から、日本政府の拙劣な移民政策、無責任、官僚主義の横暴などが如何に民を騙し、苦難の道を強いてきたかなどのお話をうかがい、胸がつまる思いであった。せいぜい九州サイズのこの島国への「移民」のわけが見えた気がした。
その夜11時、南米ベネズエラに向けてモナ・リサ号は予定通り出港した。
 西インド諸島の海域の大揺れはベッドにもぐってもごまかせず、シーソーの上に横になっているようで、安眠どころではなかった。
 ベネズエラは、時あたかも大統領選のさなか。現職ウゴ・チャペス大統領の顔写真が方々でニッコリ。彼の当選はほぼ確実視されているらしかった。
 世界でも有数の産油国であり、天然資源の豊富なこの国は、スペインから独立後も、アメリカの干渉を受け続け、一部の富裕層と軍事政権のみが富を占有し、大多数の国民は貧窮し、格差が広がるばかりだった。それを、チャペスが勇気あるクーデターを起こし大統領になるや、アメリカをバックにした勢力と戦い、ついに石油会社の国有化に成功。それまで搾取されっぱなしだったその利益を、手厚く福祉、教育、医療などに向け、格差の是正に力を尽くしてきている。
 例えば、現在までに733もの診療所が作られ、さらに多数が建設中。飢え解消の計画実施、識字教育や大学進学支援、失業者の職業訓練など、すべて無料で実施されているという。天然資源のない日本、埋蔵金などもアテにはならぬゆえ、簡単に真似はできそうもない話。
 だが、光の陰には闇が潜むという。その闇の1つ、格別の光景を紹介したいが残念ながら紙面が尽きた。次回で触れることにしよう。


PROFILE もりもとじゅんこ◎
1932年3月31日生まれ、広島市出身。シドニー在住。45年8月6日13歳の時、広島市で被爆。82年50歳でオーストラリアへ移住。著者自らの被爆体験を描いた英語版絵本「My Hiroshima」ほか、日本民話の英語版絵本「鶴の恩返し(The White Crane)」「一寸法師(The Inch Boy)」「わらしべ長者(A peace of straw)」「なめとこ山の熊(Kojurou and The Bears)」「仁王とどっこい(The Tow Bullies)」など著書多数。84年から4年連続で豪州児童図書評議会賞を全国3位、2位、2位、1位受賞。97年と98年にNSW州児童文学賞およびオーストラリア児童図書評議会賞1位を受賞。

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る